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戦後80年…「零戦」を設計 “生きて帰るため”堀越二郎の後悔

2025.08.11

戦後80年となる2025年
私たちは
「いまを、戦前にさせない」をテーマに
様々な特集をお伝えしています。



堀越雅郎(ただお)さん88歳。

○櫻井
「うわ、すごい」

見せてくれたのは、幼いころのアルバム。

○堀越二郎氏の長男
 堀越雅郎さん(88)
「おやじは撮った方だから写ってないんだよね」
○櫻井
「それがまた子煩悩さを表していますね
 撮っているばかりで写ってない」

そのなかに…。

○堀越二郎氏の長男
 堀越雅郎さん(88)
「父親です」
○櫻井
「いい笑顔で写ってらっしゃる」

ほほえみながら映っていたのが、
父親の堀越二郎さんです。

ジブリ作品「風立ちぬ」の
主人公のモデルにもなった、
父・二郎さん。

戦闘機の設計士を務め、
つくり上げた1つが、
零式艦上戦闘機「零戦」です。

最高時速や航続距離など、
当時、世界一の性能を持ち
“ゼロファイター”と恐れられた「零戦」。

しかし戦況の悪化とともに、
無謀な作戦にかり出され、
多くのパイロットが
犠牲となっていきました。

10年前、私が訪ねた
パプアニューギニアのラバウル。

激戦地の1つである
この場所で見つけたのが…。


 

○櫻井
「これ零戦ですか」

朽ち果てた零戦でした。

“パイロットの墓場”と呼ばれ、
海に沈んだ零戦も。
操縦席には、
貫通した銃弾の痕が残されていました。

○櫻井
「コックピットがきれいに残っているから、
 ここに人が1人
 入っていたんだなと実感できた。
 海の水がすごくきれいだから
 きれいであればあるほど、もの悲しい」

そして戦争末期、零戦が投入されたのが、
敵艦に突っ込む特攻でした。

このことに生涯、
後悔の思いを抱えていたという二郎さん。

○櫻井
「新聞などで特攻がたたえられれば
たたえられるほど、苦しさが増す?」
○堀越二郎氏の長男
 堀越雅郎さん(88)
「こんなはずじゃなかったと」
○櫻井
「そのためじゃないですもんね?」
○堀越二郎氏の長男
 堀越雅郎さん(88)
「おやじに言わせたら、『操縦員を助けるために、
 性能を良くしたんだよ』と」
○櫻井
「帰ってこられるように…」
○堀越二郎氏の長男
 堀越雅郎さん(88)
「『死ぬための飛行機を
 つくったんじゃないよ』と」

船に代わる、
“世界をつなぐ飛行機をつくりたい”。
二郎さんは、そんな夢を抱きながら
いまの三菱重工業に入社。

航空機産業が進む欧米に留学し
世界の技術を身につけました。

しかし戦争の影が近づくなか、
帰国後、命じられたのは
「戦闘機」の設計でした。

○堀越二郎氏の長男
 堀越雅郎さん(88)
「留学していたから、
 アメリカと戦争したら
 絶対勝てっこないと知っていた。
 国力の違い、工業力の違い、
 おそらく1対100くらいの違いが、
 当時はあったはず」

それでも、「命を助けられるなら」と
戦闘機の開発を続けた二郎さん。

○堀越二郎氏の長男
 堀越雅郎さん(88)
「少しでもいい武器(戦闘機)をつくれば
 それが味方の人命を助けることにもなる」
○櫻井
「それがひいては国のため、
 若者のためになる…」

願いとは裏腹に、
特攻として使われてしまった零戦。
その事実を、新聞報道で知った二郎さんは、
悔しさをこうつづっていました。

○堀越二郎さん
「多くの前途ある若者が
 けっして帰ることのない
 体当たり攻撃に出発していく。
 新聞によれば、
 彼らは口もとを強く引きしめ、
 頬には静かな微笑さえ浮かべて
 飛行機に乗り込んでいったという。
 涙がこぼれてどうしようもなかった。
 なぜ日本は勝つ望みのない戦争に飛びこみ
 なぜ零戦がこんな使い方を
 されなければならないのか」
 特攻隊というような非常な手段に
 訴えなくてもよかったのではないか」
(『零戦 その誕生と栄光の記録』
  堀越二郎 角川文庫 より)


迎えた終戦。
日本は一時、航空機の開発を禁じられ、
二郎さんの“世界をつなぐ飛行機をつくる”
夢も絶たれました。

○堀越二郎さん
「私は職業の選択に失敗したと思う」
(『読売評論』1950年11月号 より)

○櫻井
「飛行機を愛したお父様が
 職業の選択を誤ったという一言は
 相当な重みだと感じたのですが?」
○堀越二郎氏の長男
 堀越雅郎さん(88)
「自分の誇りでもあり
 大好きだった飛行機の
 設計をできなくなって。
 そんな職業を選んで失敗だと」

これは、二郎さんが、
終戦まもないときに書いた「終戦日誌」。
そこには、戦争を始めた
国の指導者への怒りがつづられていました。

○堀越二郎さん
「日本の軍部とそれと結ぶ政治家が
 外交で平和的に打開することをせず
 武力に訴える所まで短気を起こしたことが
 戦争の近因ではなかったか
『誠実にして叡知ある、
 愛国の政治家出でよ』これが願いである」
(『終戦日誌』より
 2025年8月31日まで、
 所沢航空発祥記念館の特別展で公開中)

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