#186 ガザ退避…「極限の3週間」
ガザ地区南部に避難していた
国境なき医師団の
白根麻衣子さん。

今月1日に退避するまでの
「極限の3週間」について
明かしました。

○ガザ地区から退避した
国境なき医師団
白根麻衣子さん(36)
「戦争が始まって
2週間目くらいから
水・食料・燃料が
本当に不足してきていて
いつそれがなくなって
命が途絶えてしまうんだろうと」

(櫻井)
「人間としての
最低限の生活もできなかった」
と話す白根さん。

避難生活は屋外で寝泊まり。
昼夜問わずミサイル攻撃が続き
午前3時4時でも
起きて安全を確認する日々
だったといいます。
食事は「缶詰」や「パン」。
現地スタッフが
危険と隣り合わせのなかで
調達してくれたものを
廃材を拾って火を起こして、
1日1回料理をして
分け合って食べていたそうです。
この極限の生活のなかで
白根さんが
一番命の危険を感じた出来事が
ありました。

○ガザ地区から退避した
国境なき医師団
白根麻衣子さん(36)
「10月末にガザ地区の通信が
すべて切られた時は
そのときに私は
一番命の危険を感じました」

(櫻井)
イスラエル軍の大規模な空爆で
ガザ地区全域で通信が遮断され、
・物資の調達ができず
・国境なき医師団からの指示連絡
そして、
・家族との連絡も一時ストップ
してしまいました。
家族との連絡は白根さんにとって
一番の心の支えだったといいます。

○ガザ地区から退避した
国境なき医師団
白根麻衣子さん(36)
「不安ななか連絡できるときは
なるべく連絡していて
母は一度も弱音を吐かず
『あなたなら大丈夫だから
信じて待ってる』と
ずっと言い続けてくれていたので
3週間乗り切れたのは
家族の支えがあったから
そう今振り返って思っています」

(櫻井)
ただ白根さんは
「退避できたことに
100%の喜びはなく、
ガザを離れてもできることは
なんでもやっていきたい」
と話しています。

記者から
「日本人個人で
できることは何か」
聞かれた白根さんは、
「戦争は、何も生み出さない」
ただただ命が失われ、
あってはならないことだと
常に忘れずにいてほしい」
そう訴えていました。
戦争で一番犠牲になるのは
幼い子供をはじめとした
罪のない一般人です。
白根さんは、
「今起きていることを
多くの人に知ってほしい」
そう話しています。
私たちもこれからも伝えていきます。