今日は爽やかな初夏の陽ざしが射している。
せっかく梅雨入りしたというのに、こんなに晴れてしまっては梅雨の意味がない。
もちろん晴れていたほうが、私の気分はいいけれど、梅雨は梅雨らしくしてほしいもの。

 そんな雨を願っているのは、村の作物も同じ。強い日差しに照らされている野菜達からは、「雨降れ、雨降れ」と声が聞こえてくるよう。それぐらい雨が少ない。
 今年は雪も少なかったため、こんなに雨が降らないと水不足になりかねない。おいしいお米・野菜が食べられるか今から心配。
 そんな心配をよそに晴れ間を楽しんでいるのは「北登」。楽しそうに散歩している。
7歳とは思えない走りで、私が息切れしてしまう程。北登はまだまだ若い。




 北登と散歩をしていると、色々な音が聞こえてくる。草の音、小麦が揺れる音、風の音、どれもみんな素適な音。そんな時、ふと中学校の先生の話を思い出した。
 『「きく」という漢字の中には「聴く」という字もある。この漢字からも分かるように、音を「きく」ということは、耳プラス目と心できかなければならない。だから皆にも、耳だけできくのではなく、目と心でもきいてほしい。』この言葉を聞いた時、中学生だった私は、先生ってすごーいと、とても感動した。今から考えたら、そうたいしたことじゃないかもしれないけど、その当時は、その言葉にとても感動した。だからこの年になっても覚えている。

 ふと村の音も同じじゃないかなと思った。ただ小麦が揺れる音だけを聞いていても、さほどの魅力は感じない。目で黄金の穂が揺れるのを見て、小麦が風になびく音を聴くと、なんとも言えない美しさが生まれる。これは人間ならではの聴き方で、人間にしかできない聴き方でもある。
 目と耳と心で聴く村の音。今年は、梅雨の雨音が聴けるか心配。

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