村もようやく梅雨入り、しとしと雨が降ったり、やんだり。
そんな雨の中、すくすくと生長しているのは田んぼの苗達。
日に日に緑は濃くなり、ひょろっとしていた苗も少しずつ根を張り始めている。
7年目を迎えた米づくり。今年は、男米に代わる新しい品種をつくることになった。
6年間米づくりをし、毎年収穫できたものの「いもち病」をはじめとした病気に 悩まされることも少なくなかった。
 そこで、今年は「いもち病」に強い「ふくみらい」という新しいお米と「男米」とを 交配させるすることにした。名前が「みらい」だけあって良いお米ができそうな予感がする。これからの苗の生長が楽しみ。

 すくすくと生長をしているのは仔山羊達も同じ。「さくら子」と「うめ吉」と・・・・ 本当はここに「もも子」もいるはずだった。  
 ある朝のことだった。いつものように餌をあげに小屋に近づくと、1匹だけぐったりとしている仔山羊がいた。急いで小屋の中に入ると、「もも子」が力なく横たわっていた。  
  昨日まで元気だった「もも子」が死ぬはずがない、ただ眠っているだけなのだと信じたかった。でも、どれだけ呼んでも鳴き声はしない。マサヨも悲しげな顔で「もも子」を見つめている。なんとか助けたいと思っても、もう私には何もしてあげることができない。悲しみよりもその悔しさばかりにかられる。せめて言葉が分かれば、そんなことも考えた。しかし「もも子」は安らかな顔で眠っている。なんだか複雑な気分だった。




 せっかくマサヨの子供としてこの世に誕生したばかりで、生きていれば楽しいことやおいしいものも、もっとたくさん味わえたのに。それを思うと悲しさと同時に自分が今、「生きている」ということにもっと感謝しなければいけないと思った。普段、生きていることが当たり前で、その上さらに幸せを求めるということが普通になってしまっているけど、幸せの前にまず「生きている」ということ自体がすばらしいということなのである。

 心臓が動いて、音が聞こえて、目が見えて、味がして、それだけでもすごいこと。そして、何よりも言葉をしゃべれる人間としてこの世に生まれてきたこと自体幸せなのだ。そんなことを思い出させてくれた「もも子」。ありがとう。
  これからは「もも子」の分も「さくら子」「うめ吉」には長生きしてほしい。そして私も「もも子」の分までしっかりと生きていきたい。

前の週 次の週