すくすくと生長をしているのは仔山羊達も同じ。「さくら子」と「うめ吉」と・・・・ 本当はここに「もも子」もいるはずだった。 ある朝のことだった。いつものように餌をあげに小屋に近づくと、1匹だけぐったりとしている仔山羊がいた。急いで小屋の中に入ると、「もも子」が力なく横たわっていた。 昨日まで元気だった「もも子」が死ぬはずがない、ただ眠っているだけなのだと信じたかった。でも、どれだけ呼んでも鳴き声はしない。マサヨも悲しげな顔で「もも子」を見つめている。なんとか助けたいと思っても、もう私には何もしてあげることができない。悲しみよりもその悔しさばかりにかられる。せめて言葉が分かれば、そんなことも考えた。しかし「もも子」は安らかな顔で眠っている。なんだか複雑な気分だった。 |
せっかくマサヨの子供としてこの世に誕生したばかりで、生きていれば楽しいことやおいしいものも、もっとたくさん味わえたのに。それを思うと悲しさと同時に自分が今、「生きている」ということにもっと感謝しなければいけないと思った。普段、生きていることが当たり前で、その上さらに幸せを求めるということが普通になってしまっているけど、幸せの前にまず「生きている」ということ自体がすばらしいということなのである。 |
心臓が動いて、音が聞こえて、目が見えて、味がして、それだけでもすごいこと。そして、何よりも言葉をしゃべれる人間としてこの世に生まれてきたこと自体幸せなのだ。そんなことを思い出させてくれた「もも子」。ありがとう。 これからは「もも子」の分も「さくら子」「うめ吉」には長生きしてほしい。そして私も「もも子」の分までしっかりと生きていきたい。 |