放送スケジュール

無言の語り部
〜ヒバク遺品は訴える〜    30分枠

放送 : 8月3日(日)
  24:50〜
ナレーター : 杉本るみ
制作 : 広島テレビ
再放送 : 8月10日(日)11:00〜
    BS日テレ
  8月10日(日)18:30〜 
CS「日テレNEWS24」 

被爆者・平野隆信さん(78)が床の間に飾っているもの。それは古びた「やかん」だ。69年前、被爆死した父の遺骨を、自宅の焼け跡で見つけたやかんに入れ、疎開先に持ち帰った。今、平野さんはこのやかんを広島市の原爆資料館に寄贈するか悩んでいる。原爆資料館は今年から4年がかりのリニューアル工事を開始。目的は「現物資料の充実」だ。爆風でボロボロになった衣服など、実際に被爆した資料の展示がこれまで以上に増える。被爆者が高齢化する中、物言わぬ語り部として資料は重要な役割を担う。一方で平野さんには形見を手元に置いておきたい気持ちもあり、葛藤が続く。現物資料の充実で原爆資料館はどう変わるのか、遺族や被爆者はどのような思いで資料を託すのか。

続・放射線を浴びたX年後
日本に降り注いだ雨は今  30分枠

放送 : 8月10日(日)
  24:50〜
ナレーター : 鈴木省吾
制作 : 南海放送
再放送 : 8月17日(日)11:00〜
    BS日テレ
  8月17日(日)18:30〜 
CS「日テレNEWS24」 

アメリカが太平洋で核実験を行った1954年。マグロ漁船「第五福竜丸」の被曝が世界に報じられた。だが、被害はそれだけではない。南海放送は一昨年、「放射線を浴びたX年後」を放送。被曝した魚を水揚げした日本の船が延べ1千隻だったこと。さらに、放射性物質が日本列島を汚染していたことを伝えた。全国に降り注いだ放射性物質。特に爆心地に近い沖縄では、当時17万カウントという高い放射線を測定。約30年間にわたり国内の被曝の実態を調査してきた高知県の元高校教諭が今年、その沖縄に入った。周辺海域が汚染されていたにも関わらず被曝した魚が沖縄で一度も水揚げされていないことに、元教諭は疑問を抱く。調査を進めると、沖縄が持つ特殊な実情が見えてきた。

歴史に挑む高校生
日韓 40年目の修学旅行 30分枠

放送 : 8月17日(日)
  24:50〜
ナレーター : 横須賀ゆきの
制作 : 読売テレビ
再放送 : 8月24日(日)11:00〜
    BS日テレ
  8月24日(日)18:30〜 
CS「日テレNEWS24」 

歴史の傷を抱えながら友好と対立を繰り返す日本と韓国。最も近いふたつの国が今、かつてない嵐の中をさまよっている。こうした中で今年交流40年の節目を迎えた日韓の高校がある。「海を越えた修学旅行」は韓国が軍事政権だった時代に始まり、互いが「冒険だった」と振り返る。たとえ歴史問題で日韓関係が悪化しても、毎年ふたつの学校は決して会うことをやめなかった。歴史の迷路に迷い込み、抜け出す道を探し続けた生徒たちの40年。今年節目となる修学旅行の出発直前、「セウォル号沈没事故」が発生。同じ世代の高校生が大勢犠牲になった。鎮魂の祈りに包まれる韓国で、生徒たちは互いの姿に何を見たのか。日韓の荒波に漕ぎ出した40回目の修学旅行が今、始まった。

いのち つなぐ
移植から18年目の結実  55分枠

放送 : 8月24日(日)
  24:50〜
ナレーター : 小山茉美
制作 : 福岡放送
再放送 : 8月31日(日)11:00〜
    BS日テレ
  8月31日(日)18:00〜 
CS「日テレNEWS24」 

福岡市の高橋(旧姓・久米)若奈さん(33)。双子の姉妹の妹として生まれた若奈さんは、難治性の病気・先天性胆道閉鎖症に冒されていた。幼少期から何度も手術を受けるが、小学5年生の頃「肝臓移植でしか助からない」と告げられる。当時、国内では脳死者からの臓器移植は法律で認められていなかった。生体肝移植も家族と適合せず見送られた。そのため募金活動などを経て、オーストラリアに渡る。半年後、当時14歳だった若奈さんは、ようやく新たな命を受け取ることができた。それから18年。若奈さんは新しい命を授かる。移植でつないでもらった命を次につなげたい…。1988年から追い続けてきたある少女の移植から結婚、体外受精での妊娠、そして出産。26年の歴史を振り返る。

夏空の墓標
あの日、御巣鷹の尾根で  30分枠

放送 : 8月31日(日)
  24:50〜
制作 : 日本テレビ
再放送 : 9月7日(日)11:00〜
    BS日テレ
  9月7日(日)18:30〜 
CS「日テレNEWS24」 

死者520人…単独の航空機事故としては世界最悪となった日航機墜落事故。発生から29年を迎えたこの夏、航空業界を目指す大学生7人が、初めて御巣鷹へ向かった。事故後に生まれ、事故を知らずに育った7人。その惨状と向き合い始めた時、直面したのは地獄絵図とも言われた現場の様子や、最愛の人を奪われた遺族の苦悩だった。調べることが怖い…心に生まれた「恐怖」は、やがて自分に何ができるのかという「問い掛け」に変わっていく。初めての御巣鷹で、学生たちは何を見て、何を感じたのか?一方、御巣鷹で機体の残骸を1人回収し続けてきた遺族は、高齢に勝てず、今年は慰霊登山を断念した。記憶を胸に刻む者と受け継ごうとする者。29年目を迎えた事故の「現在」を見つめる。

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