DASH島開拓史

新たな油と難関の水路2015/12/6

DASH島の秋の定番となった“アケビ"の実り。
その種から、上質な食用油がとれると知っていた城島は、今では幻となった“アケビ油"を作ることに。
森の中で、痛んで落ちた実を拾い、集めた種は500g。
これを、乾煎りして水分を飛ばし、石臼で細かく砕いて蒸し、島で集めた道具と材料で作った搾油機で、搾っていく。
種からは、圧力を加えるほどに、見事な黄金色の“アケビ油"が流れ出し、椿油に続く新たな油は、風味も絶品だった。
一方、ようやく浜に出た水路作りは、難関に差し掛かった。
先の強風と潮のゾーンは、否応なく、水路の木を腐食させる。
そこで、海沿いの家屋の壁板に、古くから用いられる防腐の知恵“焼杉"を岩手県久慈で頂いた赤松材に施すことに。
だが、赤松特有の松脂が、予想以上に炎の勢いを増幅させ、表面だけでなく、板全体を焼いてしまい、“大失敗"。
新たな材料の調達が急務となった。

線路の完全復旧2015/11/8

放送開始20年、番組が成人した証しは“お歯黒"で示した。
本来、お歯黒は、鉄分と砂糖、麹などを混ぜた「鉄奨水(かねみず)」と、渋み成分タンニンを含む植物「五倍子粉(ふしのこ)」を、黒く化学反応させて作る。
そこで、「鉄奨水」は舟屋の余り材から取った古釘と漂着物の酢、「五倍子粉」は城島特製のお茶、タラノキ茶で代用。
さらに、これも成人の証として日本で古くから行なわれる通過儀礼である“褌(ふんどし)祝い"。
番組20周年を迎え、気合いが入る城島は、達也と松岡に褌を着けてもらい、海の冷水で身を清めた。
一方、完成した石橋では、線路の完全復旧に向け、最後の仕上げ作業に入った。
高波が来てもアーチの下を波が抜けるよう1tもの砂利を掻き出し、石橋の上には、改めてレールを敷いた。
そして、トロッコの走行テストは、無事に石橋を渡り切り、これで、台風被害から約400日ぶりの完全復旧となった。

キイロスズメバチの巣の駆除2015/10/25

今年の夏、舟屋の軒先に見つけたキイロスズメバチの巣は、夏から秋の間に、みるみる巨大化。
駆除するための防護服や道具が揃うまでは、危険が伴うため手出しできず、結局、一式が準備できるまで1か月を要した。
その間にも、スズメバチの巣は成長し、60cm超え。
一刻の猶予もないと、駆除に取りかかったが、島に毎年のように出来るスズメバチの巣に、今後も対処できるよう、自分たちだけで駆除を試みた。
しかし、4年の経験を積んでいる城島、達也とは違い、駆除初心者の松岡は、強引なやり方で巣を崩してしまった。
とはいえ、年長2人のフォローもあり、何とか巣を取り除くことに成功し、ひとまずの安心を得た。
ただし、これで無人島のスズメバチを根絶したわけでもなく、注意を払っていかなければならない。

リベンジの“テンヤ釣り"2015/10/11

港跡のマダコを狙い、東京湾伝統のテンヤ釣りの仕掛け作り。
漂着物の竹を加工し、針は尖らせた番線、大きさは通常の倍。
疑似餌は白い物に食いつくタコの習性を利用し、漂着したらっきょうを使うつもりが、茶色くて役に立ちそうもなかった。
そこで、陶器の欠片や貝殻など、らっきょう代わりの白い物を拾い集めた。
浜では謎の骨を発見し、正体は島にも訪れる鵜の仲間だった。
そして、肝心のテンヤ釣りは、疑似餌に牡蠣の殻、イカの骨を付けて挑んだものの、近寄ってくるタコを釣り上げられず。
タコが浅場に来る夏を一年待ち、今度はサザエの殻で再挑戦。
だが、手応えはあっても、どうしても釣果には至らない。
そこで、タコの警戒を解くため、陸から仕掛けを落とし、タコが疑似餌に近づいたところを、ヤスで突き刺して仕留めた。
こうして1年越しに獲った2匹のマダコはどちらもメスで、茹でても焼いても、柔らかな身で美味だった。

石橋、開通2015/9/13

北側の浜で集めた壁石は、石橋予定地までの約300mを、漂着物でこしらえたイカダで運搬した。
やっとのことで運び込んだ壁石は、およそ400個。
これを一つずつ、まさに城の石垣の様に積んでいく。
まずは、その目安となる“丁張り板"を設け、張った荒縄の高さと幅に沿って作業を進めた。
強い波に対しては"水切り"のような工夫を。
輪石の左右を張り出す形にして、波が押し寄せても、スムーズにアーチの下を流れ抜ける先人達の知恵。
そして、壁石の積み方にも様々な職人の知恵があった。
輪石の袂(たもと)に据えられた大きい壁石は、アーチが開いて崩落する危険を未然に防ぐ。
さらに、継ぎ目をアミダ状に積むことで、しっかりと噛み合い、内側へ傾けながら積めば、勾配により更に強固な壁となる。
自然石同士、上手く噛み合わない場合は、石工用の“玄能(げんのう)"を使って石を削り、ハマりを良くする。

そして、並行して壁石の間に詰めていく栗石は、ひたすらバケツで石を運んでは撒き、を繰り返した。
こうして、2か月続いた石積みは、壁石約420個、栗石約12tを使って、すべて積み終わった。
最後は、支保工が抜けず、解体するほかなかったが、台風被害から実に371日、無事、DASH島に石橋が架かった。

「船橋」の“壁石"探し2015/8/30

石橋はアーチ部分が完成し、作業は次の段階へ。
基礎となるアーチの周囲に、大きく角張った石で“壁石"と呼ばれる石垣を築き、その間に小さな“栗石(ぐりいし)"を詰めていく。
壁石は上からアーチを押さえる役割を果たし、栗石は壁石を支えるとともに、線路を敷くための地面となる。
さっそく、島の北側の浜で、壁石に適した石を探していると、懐かしい石油ストーブの給油タンクを発見した。
中に灯油も残っていて、思いがけず新たな燃料を手に入れた。
一方、石橋を初めて渡ったのがフナムシだったことから、DASH島の石橋は、“船橋"と命名された。
そして、夏の恒例イベント、男だらけの“リゾラバ"を開催。
今年は、漂着したシュロの流木で砂浜定番の“棒倒し"を。さらに、ブルーシートでこしらえたウォータースライダーで砂浜を滑降し、夏を満喫した。

石橋のアーチ完成2015/7/26

初夏、産卵前にたっぷりと栄養を蓄える“真牡蠣(まがき)"。
ならばと、大潮で潮が引く日を狙い、潮間帯の岩場に張り付く3匹の真牡蠣を調達。
囲炉裏で炭火焼にすれば、濃厚な味わいが舌に広がった。

そして、石橋の石の積み直し作業は、大詰めを迎えていた。
日夜、石の側面を削り、ミリ単位で調整、輪石同士を密着させながら安定させ、慎重に積み直した石は、のべ106個。
一度目はハマらなかった、最後の要石も無事、ぴったりと。ついにアーチ部分が完成した。
一方、城島が健康の為にと作ったのは、柔らかいタラの樹皮を剥いで煮出した“タラノキ茶"。
城島曰く、新感覚というその味は、煮過ぎたのが原因か、思わず悶絶する苦さだった。
そして、一年越しとなる“七夕相撲"の大一番、城島VSスタッフ北村の、因縁の対決。
昨年、敗北を喫した城島は、リベンジを胸に、密かに稽古を積んできたが、やはり台頭する若い力には及ばず…。
そして、見つかった舟屋の軒先にぶら下がる、巨大なスズメバチの巣。
まだ、スズメバチは活発ではないものの、大事をとって舟屋を一時封鎖…DASH島、最大の危機がやってきた。

新たなサクランボ2015/7/5

毎年、倉庫前に生る、シナミザクラの待望の実り。
長瀬以外は、まだ赤く熟した甘いサクランボにありつけていなかったので、今年こそはと、鳥除けを。まだ青いうちから実を網で囲い、案山子ジョニーの見張り、アオダイショウの見回りと、万全対策…のはずだった。
警備強化の成果あってか、鳥こそ近づかなかったものの、熟した実を狙う者が他にも。
それは、甘い果実が大好物、国内最大種の“クロオオアリ"。
隙間を縫って集団で網の中へと侵入し、美味しい実の部分だけをきれいに食べ尽くす、大胆な犯行だった。
予想外の相手によって、またも甘い実を食べられず、肩を落としたが、舟屋の脇に今まで気づかなかった実りを発見。
それは、倉庫跡とは別の“オオシマザクラ"の実。
生っていた赤、黄、黒の三種類の実を食べ比べてみると、黒い実は苦味と甘みが融合する、大人味のチェリーだった。

進む石積み作業と大潮の生き物2015/6/21

石橋のアーチ部分の石を積み直す作業は、輪石の形を現場に合わせて少しずつ調整しながら、進めていた。
ミリ単位の削りは、根気のいるものだったが、輪石をしっかり密着させ、位置や高さを合わせる手間がどれほど大事なものか、前回とは見違える美しい仕上がりを見て痛感。
こうして職人の知恵を借り、順調に残り7列のところまでこぎつけた。
そんな職人たちから、地元長崎の郷土料理“ぬっぺ汁"と“からし蓮根"を差し入れで頂き、活力も得た。
さらに、作業の合間には、食糧調達の絶好の機会にも恵まれた。
満潮時は海底であるはずの場所が、この日の大潮で、あらわとなり、普段は海の中にいる、高級魚の“ダイナンギンポ"や、初めて見た巻貝“オオヘビガイ"など、多くの生き物と出会えた。
そして、出来たばかりの舟屋の囲炉裏で、無人島初めての揚げ物料理に舌鼓。
茹でたオオヘビガイは、その見た目とは裏腹に、美味だった。

石橋の石積み再開2015/6/7

3か月前、石橋の石積み作業は、振り出しを余儀なくされた。
積み上げた輪石をすべて下ろし、一からの積み直し。
石材が、ガバガバ状態となった原因は、石面のわずかな凸凹や、積んだ石同士の隙間が積み重なり合うことで、最終的に大きな誤差となり、全体のバランスを崩していた。
修正するには、輪石一つ一つの角度を調整し、接地面の凸凹をなめらかに加工する。
そうすることで、アーチが広がり、石が入るスペースが生まれ、輪石の数を増やしてピッタリと積むことが出来る。
加工は「刃ビシャン」という、細かな部分の作業に適した道具で進めていく。

まず、石の外側を薄く削り、基準となる縁を作る。その縁に合わせて全体を叩き、調整していくやり方。
そして、滑らかに仕上げた輪石同士の面を押し当て、ピッタリと密着させた状態で積んでいく。すると、初めとは比較にならないほど、隙間なく整った石積みとなった。

舟屋の“囲炉裏”2015/5/24

寒さが残る3か月前から取り掛かっていた、舟屋の“囲炉裏(いろり)"作り。
現状、舟屋の床には階段と滑り棒の穴が開いているため、これ以上開けると強度に不安が出る。
そこで、穴を開けずに済む、箱型の“置き囲炉裏"の製作を始めた。
水路で余った半端な赤松の古材を使い、灰が継ぎ目から落ちないよう水路と同じ“雇い実継ぎ(やといさねつぎ)"で底板を作り、側面は“蟻組み継ぎ"で強固に組み合う工夫を施した。
さらに、内側を集落跡で調達したレンガで覆い、耐火対策をした。

一方、囲炉裏の中に入れる灰は、縁起よく“どんど焼き"でつくる。
新年に飾った門松、神社の注連縄などを流木や竹と一緒に燃やした。
さらに新男米を使って、浜に生えるウチワサボテンの実の果汁を着色料代わりに、紅白の“繭玉(まゆだま)団子"をこしらえ、島の繁栄を願った。
こうして、出来上がった灰は振るいにかけ、炭や木片のない完全に燃え尽きた灰だけを囲炉裏の中に敷き詰めた。
そして、以前、岩手・久慈で頂いていた、木枠の炉縁を取り付け、梁から“自在鉤(じざいかぎ)"をぶら下げて… DASH島の囲炉裏が完成。
舟屋のど真ん中に、みんなで集い語らう、新たな場所ができた。

“騎射"で厄払い2015/5/17

5月はじめ「こどもの日」、恒例の“端午の節句"の準備。
今年は平安時代の宮中行事、馬に乗って的を射る“騎射(きしゃ)"で厄払い。
以前、ご当地PR課で訪れた、宮崎県都城市の和弓の技術を生かし、漂着物を材料に手製の弓矢作り。
弓は、割った竹の間に同じ幅の木の板を挟み、くさびで反るようにクセをつける。
そして、あえて反りとは逆側に曲げて弦を張ることで、反発力を生み出す。
完成した弓矢は、思いのほか飛距離も出る、なかなかの出来だった。

走る馬の代わりは手漕ぎトロッコ、的は鍋のフタで代用。
騎射本番、3人が1回ずつ挑戦するも、放った矢は惜しくも的を外し、厄払いができたのか、少々不安が残った。

帆船に“舵”装備2015/4/26

食糧調達のため入った森の中は、すっかり春めいていた。
3度目の春にして初めて目にした、早春に赤い花を咲かせる“ボケ"。
そして、目的の山菜は、砂利の浜で育った“ハマダイコン"、山菜の代名詞“タラの芽"、さらに、“ギシギシ"と言う名の野草を採集。
ギシギシはヌメリが強く、酸味があり、まるで柑橘のよう。
大根おろしの薬味に良しと考えたが、肝心のハマダイコンが旬を過ぎており、あいにく硬くて食べられず…。

一方、10か月前に手漕ぎ舟に帆を取り付け、改造した帆船。
課題だったコントロールを可能にするため、かねてから取っておいた、漂着物の“舵"を取り付ける作業に取り掛かった。
必要なのは、舵板の腐敗や亀裂の修復と、土台となる“舵床(かじどこ)"作り。
そして、舵板の痛んでいない箇所を切り出して“単板舵(たんばんかじ)"を完成させ、舟には新たに土台を備え付けた。
しかし、いざ出航してみれば、舵は十分機能するものの、帆が受ける風の力に耐え切れず、土台が破損…この島唯一の舟、男たちの改良はまだまだ続くのであった。

試練の石橋造りと海の主2015/3/22

DASH島に石橋を架けるべく、長崎から運び込んだ石材をトロッコの荷台に載せ、仮設橋のある石橋予定地まで運搬。
1つ60kg以上の石を運ぶのは容易ではなかったが、落下や脱線を繰り返しながら、何とかすべての石材を運び終えた。
しかし、いざ石橋を作ろうにも、石橋予定地は波で崩された瓦礫が溜まり、石と土が混じった、あまりに弱すぎる地盤だった。
そこで、城島が長崎で石橋の技術を学んだ、石のプロに協力を依頼。

まずは、いびつな地面を水平にするため、石を掻き出して整地、石橋の敷地を確保した。
続いて、弱い地盤を補強するため、護岸のない場所に伝統の基礎“梯子胴木(はしごどうぎ)"を埋める。
石橋の石を置く地面に穴を掘り、枕木と丸太を番線で止め、ハシゴ状に組んでいく。
仕上げに、大小の石を詰め、土を被せて上から水を撒くと、石と土のすきまがギュッと締まり、一段と固い地盤となった。

そして、石橋の土台となる“支保工(しほこう)"を設置するため、仮設橋の橋桁、さらに、レールと枕木も一時的に撤去。
支保工は、棟梁・達也が初めての仕事ながら、丈夫な古材を使って、見事なアーチに仕上げた。
いよいよ、輪石を積む作業に着手したが、自分の体重ほどもある輪石を積むのは、想像以上に過酷な作業だった。

そして、作業は進み、ついにTOKIO5人でラストの要石を置く段階まで来た…その時、あろうことか、要石がぴったりハマらないという事態。
それは、もはや石橋の強度も機能も、保てていないということ。
ショックを隠し切れないメンバー。
石材は十分あるため、輪石を削り直し、初めから積み直すことに。
それが、長崎で石橋を学んできた、城島の決断だった。

一方、去年の夏、達也が海中の映像に映り込んだ巨大な魚影を確認。
頭のコブの特徴から、「海の主」とも呼ばれる、“コブダイ"だと予想した達也は、正体を掴むべく、魚影の出現ポイントにカメラと好物の貝類を設置。
すると、強靭な顎で貝を殻ごと噛み砕く、コブダイが姿を現した。
さらに、同じポイントに複数のメスの姿も確認した。
縄張りにハーレムを作るコブダイの習性から、DASH島の海に、まだ見ぬ、大物のオスが潜んでいるかもしれない。

石材の運搬とユリ根2015/3/8

石橋の街・長崎で石橋作りの技術を学んだ城島が、現地で採石し、加工した石材を台船に載せ、島に到着した。
今回の石材の荷下ろし作業には、これまで以上に危険が伴った。
クレーン歴17年の城島の操縦とはいえ、石材の重量に耐えきれず、横転すればひとたまりもない。
そこで、スロープを使って2回に分け、慎重に船から下ろした。
しかし、今度は足場の悪い浜での石の運搬作業に、困難を極めた。
とはいえ、次の台風時期までには石橋を仕上げたい、地道にでもトロッコを使って運搬を急ぐ。

一方、松岡が浜で見つけた“コオニユリ"は、以前、長瀬が森の中で見つけていた“ウバユリ"とよく似ていた。
それらの食用の根っこ“ユリ根"を土から掘り起し、食べ比べてみると、コオニユリはホクホク、ウバユリはシャキシャキとした食感。
また一つ、貴重な食料を手に入れた。

石橋造り始動2015/2/15

今年も老体にムチ打ち、メンバーの無病息災とDASH島の安全を祈願して、極寒の海で心身を清める“大寒禊(みそぎ)"を敢行した城島。
そんな城島が中心となって、動き出した新たなプロジェクト。
台風の荒波によって土台の砂利が流れ出し、宙に浮いたトロッコの線路には今、黒部の保線マンの協力で応急復旧を施した、仮設橋が。
だが、それはあくまで仮設の橋、いつまた荒波に呑まれるかもしれない。
そこで城島はもっと丈夫で強靭な“石橋"を架けようと、石橋発祥の地・長崎へ。石橋のプロを訪ねた。
江戸時代からこの地に架かり、歴史的な大水害にも耐えたという頑丈な石橋も、実は石を積み上げるだけで造られていた。
独特のアーチを形作る“輪(わ)石(いし)"は、自重で互いを支え合い、その上に積まれた“壁石"が負荷となり、より固く、崩れることはない。
さっそく、加工が必要な輪石を調達するため、石橋に適した石材を採掘、強く噛み合うよう四角く削っていく。
そして、その輪石を積み上げると、見事なアーチを描き、城島が渡っても落ちることなく、自立した。

エビ形の餌木でイカ釣り2015/2/8

5ヶ月ほど前、秋に目撃した、港跡の入り江に漂う数十匹のアオリイカの子。
冬になると身が厚くなり食べ頃に成長するアオリイカを逃す手はないと、イカの大好物であるエビの形を模した餌木を製作。
城島は以前、DASH海岸で作った餌木を海底に紛失した雪辱を晴らすため、松岡は大好きな紫色のエビで釣りたいと、それぞれの思いを込めた餌木をこしらえ、イカ釣りに挑んだ。
潮が満ち、船着き場から出航。入り江を出た沖で、深場に身を潜めるイカを狙う。
イカを誘う餌木の動かし方も、それぞれのセンスだが、釣果は結局、達也ひとり、一杯のコウイカだけだった。
それでも、イカわたで頂く刺身と、ゲソの炙りは、最高の冬の味覚となった。

温灸と柿2015/1/25

2015年に入り、間もなく1か月。
ここ半年、体を酷使し、腰も膝もボロボロの城島は、疲れを癒すため、去年も試した自作の“お灸"で体も心もリフレッシュ。
去年同様、砂浜でもぐさと同じヨモギの繊維“虫こぶ"を採取し、さらに今年は、森の中で調達した“ビワの葉"も使った。
城島がかつて経験した大きなお灸“ボール灸"と、ビワの葉の成分が体に浸透するという“ビワの葉温灸"の合わせ技。
お灸で披露回復したという城島は、その勢いで去年相撲で負けたADに再び勝負を挑んだが、あえなく投げ飛ばされた。

一方、DASH島唯一の柿の木が、今年も実りを迎えていた。
以前は、食べた実のあまり渋さに悶絶したが、今回はより深く色づいていた。
そして、3つのうち長瀬が食べた1つだけが、美味しく熟れていた。

水路、浜へ到達2015/1/11

開拓を始めて3年目、舟屋で迎える初めての新年。
今年は門松の他、島の材料で“羽子板"を作り、羽根突きに興じた。
一方で、去年の台風11号で寸断された線路の復旧が急がれた。
年末年始、多忙を極める中、TOKIOとスタッフは懸命に作業に当たった。
終わってみれば、線路はより強固に、トロッコの走行もさらに安定したものとなった。
これで、中断していた水路計画が再開。
今年の夏に達也が仕上げていた、9mの赤松を使った丸太木樋。
ウサギの森の上に水路の橋を架けるべく、滑車とロープを使って、丸太木樋を櫓の上へと引き上げる。
これを櫓と櫓の間に渡したら、さらに木樋を繋ぎ、水路を伸ばしていく。
ついに水路計画219日目、35組の土台、38本目の木樋を組んだところで、水路が浜に到達した。
喜びの中、給水テストも問題なく、井戸水は全長160mの水の路を通り、浜へと届けられた。