震災から9カ月、太一と長瀬は福島県郡山にいた。
震災前、毎年のようにDASH村の田植えと稲刈りを手伝ってくれていた、炭づくり名人・三瓶金光さん。
今は郡山で一人暮らしを始めたと聞き、二人がそのアパートを訪ねていた。
すると、部屋の中からは何やら賑やかな声。
そして、金光さんの元気そうな姿に安心する。
日曜日のこの日は、息子さん家族が遊びに来ていた。

長男・幸男さんは、東京電力の関連会社で原子力発電に関わる仕事をしていた。
震災当日も福島第一原発の5号機の地下で、配管作業中だった。
大きな揺れを感じた後、津波の危険を直感した幸男さんは、遠回りで帰宅。
幸男さん「(原発事故後)恩返しの意味で第一原発で働いた」
その後、津波で被害を受けた火力発電所の復旧作業など、仕事を転々とせざるを得ない状況だという。

一方、初の一人暮らしで、慣れない事も多いと話す金光さん。
それまでは、昼間家にいることなどなかったが、
金光さん「寒い時は部屋でテレビ観て動かない」
環境とともに生活も大きく変わっていった。
そして今度は、そんな金光さんの友人も住んでいるという、福島県二本松市の仮設住宅へ向かう太一と長瀬。
浪江町の仮設住宅は、福島市、二本松市など県内27カ所。
その内の11カ所が二本松市にある。
訪れたのはその中の一つ、安達運動場仮設住宅。