◆ 伊藤達彦さん
浜松商業高校卒業後、東京国際大に入学。2年時より3年連続で箱根駅伝2区を走った。3年時の19年3月には学生ハーフマラソンで3位に入り、ユニバーシアード日本代表に選出。4年時は箱根駅伝予選会で日本人トップ、全日本大学駅伝2区で区間新記録で区間賞を獲得した。卒業後はHondaに進み、21年東京五輪には10000mで出場した。
僕は箱根駅伝で、本当に人生が変わりました。でも高校時代に浜松商業で走っていた時は、県大会を勝って都大路に行きたい、というのが第一だったので、箱根のことはあまり頭になかったんですよね。
東京国際大の監督をしていた大志田さんが何回も学校に勧誘に来てくれていましたが、高校を卒業したら調理師になろうと思って、専門学校に行こうと考えていました。ただ、だんだんタイムが出てきて、もうちょっとやってみたいなという気持ちは正直あって。高校3年生のときに14分33秒で走れて、「大学4年間ならやってみようかな」と進学を決めました。
1年目から予選会を走って、あんなに注目度が高いものだとは思っていなくて、びっくりしました。緊張しましたけど、チームとして戦略を立てて走っていくのが面白いなとも感じました。終わった時は「いけるだろ!」と思ったものの、留学生が途中棄権してしまっていて、敗退になって。すごく悔しかったです。
1年生の時は今SUBARUで走っている照井明人さんがエース。2年生になって照井さんが抜けたら自分がエースって言われるようになってきて、頑張らないとな、もっとやらないと!って気合い入ってましたね。
2年生の時は予選会を突破できて、初めて箱根駅伝(第94回)を走りました。鶴見中継所でほぼ最下位で襷をもらって、前の選手も見えなくて単独走でした。沿道にこんなに人がいるんだ!ってびっくりしましたね。当時は「シード権が目標」とは言ってましたけど、正直なところは「箱根駅伝に出る」ことが目標だったので、走れてよかったな、いい思い出になったなぐらいだったんですよ。「4年間で1回走れればいいな」ってぐらいだったんです、その時までは。
3年生の時は大学として2年連続出場をしたことがなかったので、そこを目標にしてました。2回目の2区を走った時は集団で来て、「ようやく駅伝っぽいな」と思いながら走ってました。15kmぐらいまで引っ張ったんですけど、国学院大の土方(英和)とか法政大の坂東(悠太)さんとかに最後置いていかれました。区間11位で、前回よりはだいぶ走れたなという手応えもありました。この頃から名前が知られた選手にもちょっとずつ勝てるようになってきて、あれ、もしかしたらいけるのかも?と思い始めていました。
ターニングポイントになったのは、3年生の3月の学生ハーフマラソンです。「なんか全然走れんじゃん!」って思って思いながら走ってて、3位で表彰台に乗れて。今思うとけがが少なかったので、練習の積み重ねでジリジリとみんなに追いつけてきたのがその時だったのかなと思います。1位、2位ともすごく離れたわけじゃなかったので、「もうちょっとちゃんとやったら、勝てるんじゃないか」と思って、4年目はめちゃくちゃ頑張りました。
3年目までにうまく授業を取れていて、4年目は時間がいっぱいあって「ずっと陸上してられるじゃん!」となりました。多分人生で一番伸びたんじゃないですか。とりあえず箱根の2区が23kmだから、毎日23km以上は走ろうと思ってずっと1人で走ってました。40km走る日もありました。今考えると恐ろしいし、無理ですね(笑)。
この年はチームとしても全日本大学駅伝の選考会を1位通過して、箱根駅伝予選会も1位通過。自分も日本人トップを取れました。この頃からちょっと注目されるようになってきたのを感じました。それまでは何も気にせず気楽にできてたんですけど、注目されて負けると「負けたんだ」みたいに言われるのが嫌で、さらに頑張るようになったのもありますね。
最後の箱根(第96回)も2区を走りました。東洋大の相澤(晃)も2区を走るので、相澤には勝ちたいと思ってました。彼を意識し始めたのは3年生の六大学対抗戦です。その時は5000mでわずかに勝ったんですよ。「この人が学生トップか、じゃあ勝ったら自分が学生トップだな」って思って。
中継所で待ってる時に、「これはもしかして一緒に走ることになるかもね」とは話しました。でも一緒に行こうという相談はしてないです。僕よりあとに相澤が襷を受け取って、5kmすぎで追いついてきました。調子は良かったんですけど、走っててずっとキツくて「相澤はいつ出るんだろう?」と思ってました。権太坂を過ぎたらもっとキツくなって、最後離されちゃって、やっぱり向こうのほうが上手だったなとは思いました。あとから「ランニングデート」ってバズってるのを知ってびっくりでしたよ(笑)。
大学時代、10000mが得意だったので「27分台は出るんじゃないか」ってずっと思ってたんですよ。長い距離には苦手意識があったんですが、箱根で走ってみたらいけたというか、スピードが箱根につながったなと感じてます。正直、大学の途中まではそんなに成績も伸びないし、陸上を辞めたい、普通に就職したいと思ってたんです。実業団に行くことを決めたのは4年のはじめぐらいですね。箱根を走ってみて、「自分にも可能性があるんじゃないか」って思えたことが大きいです。
今は来年のパリオリンピックに照準を合わせて、スピードを磨いているところです。日本人初の10000m26分台は僕が出したい。練習をしっかり積んでいければ全然できない目標じゃないと思ってます。
「箱根から世界へ」という言葉がありますが、自分にとって箱根と世界はまさに繋がっていると思います。箱根駅伝によって注目されて、応援してくれる方も増えました。自分にとっては夢を与えてくれたところですね。箱根のおかげで成長できて、陸上を続けられている。大学の時ですら陸上を辞めたいと思ってた自分が、「オリンピックに出たい」と思えるようになりましたから。
卒業しても毎年箱根駅伝を見てますが、懐かしいなと思います。あんなにたくさんの応援がある大会はないです。母校にももっと頑張ってほしいです。留学生一人に任せるんじゃなくて、日本人エースが出てきてほしいですね。