◆ 鈴木健吾さん
愛媛県出身。宇和島東高から神奈川大学へ。箱根駅伝は1年時に6区を走ったが、2年時からは3年連続で花の2区を務め、3年時には区間賞に輝き、チーム12年ぶりのシードに貢献した。卒業後は富士通に進み、2021年のびわ湖毎日マラソンで2時間4分56秒の日本記録を樹立した。


 父も陸上競技をやっていたので、子どもの頃から駅伝やマラソンが身近にありました。箱根駅伝も、正月には必ずテレビで見ていました。
 高校生になると陸上競技部に入り、いつしか大学で箱根駅伝を走ることが大きな目標になっていました。
 そのため、進路を考えた時に地元の実業団や関東以外の大学からも勧誘を受けたこともあったのですが、“関東の大学でやりたい”という思いがありました。
 神奈川大学には高校2年生の頃に最初に声をかけていただきました。同じ世代にとても強い選手が何人か入るという話を聞いたのもあって、神奈川大学への進学を決めました。

 1年目の箱根駅伝(第91回大会)は、6区を走ることになりました。当時は「箱根駅伝を走れるならどの区間でも走りたい」と思っていたので、「6区をやってみないか」と言われて、チャレンジすることにしました。どちらかというと、山下りよりも山上りのほうが得意だと思っていたのですが……。
 しかし、箱根駅伝は夢の舞台だったはずなのに、実際に走ってみると、自分が思い描いていたものとは全く違いました。山のコースは沿道に多くの人がいましたが、コースから近いだけに一人ひとりの声がよく聞こえます。チームとしても個人としても結果が良くなかっただけに、厳しい言葉も頂いたのを覚えています。
 なかなかうまくいかず(区間19位)、箱根路は中途半端な気持ちで走るところではないなと痛感しました。もっと必死に頑張らなければいけないとひしひしと感じました。

 2年目は常に駅伝を見据えながら、年間を通して20km以上の距離に対応できる体づくりを行いました。その取り組みが評価されて、箱根駅伝(第92回)ではエース区間の2区を任せてもらうことになりました。しかしいざ走ってみると、雰囲気に飲まれてしまったのもあって、ただタスキをつないだだけのレースになってしまいました。ゲームチェンジするどころか、何もできず、他校のエースとの差を実感しました。
 “もう一度2区を走ってリベンジしたい”という思いが芽生え、エースを目指していく上で自分に何が足りないのかを考えて、日々のトレーニングに励みました。

 3年目はキャプテンを務めました。僕はあまり言葉で引っ張るタイプではなく、大後栄治監督からも「背中で引っ張ってほしい」と言われ、“結果を残さないといけない”という思いが強かったです。
 そして、箱根駅伝(第93回)では、希望していた2区を走ることになり、リベンジのチャンスを得ました。

 2区は神奈川大学の地元なので、声援がとても大きいんです。特に東神奈川の辺りは神奈川大学のプラウドブルー一色。3年生の時はそこを先頭集団で走ることができ、気持ちが昂りました。思わず笑顔がこぼれたほど、気持ち良く走ることができました。(自身は区間賞でチームは総合5位。12年ぶりにシード権を獲得した。)
 シード権獲得は、チームとして達成したい目標の1つで、毎日、念仏のように“シード権、シード権…”と唱えていたほどです。念願が叶ってシード権を獲得でき、個人としても区間賞という形で貢献できたことが本当にうれしかったです。何よりも、大学関係者をはじめ、周りの人たちが喜んでくれたことが一番うれしかったです。
 1年目から2年目、2年目から3年目と着実に力が付いているのは分かっていましたが、2年生の時に2区で区間14位という結果だったのが、3年生では区間賞を獲得することができ、この1年間の取り組みが間違っていなかったことを実感できました。
 ちょうど進路を考え始める時期でもありました。このタイミングで結果を残すことができ、卒業後に競技を続けることを現実的に考えるきっかけにもなりました。

 4年目は、3年生の時よりも注目される立場になっていました。チームも“往路優勝、総合3位以内”という高い目標を掲げていて、雰囲気がすごく良かったです。
 ただ、4年生最後の箱根駅伝(第94回)は、調子が良かったかと言われたら、決して良いとは言えない状態で迎えることになりました。それでも、その時の状況の中では最善の準備ができました。実際に、結果(2区区間4位)は区間上位で走ることができ、順位を押し上げることはできた(3人抜き)ので、可もなく不可もなく、最低限の走りはできたと思っています。
 チームとしては、4区までは往路優勝を狙える位置にいましたが、5区以降苦しい走りになりました(結果は総合13位)。勝つことはなかなか簡単でないのを思い知らされました。

 箱根駅伝は注目度がとても高い大会です。注目度はオリンピックにも匹敵するのではないかと自分では思っています。大学生の大会にしてはメディアからの取材も多く、他の大会ではなかなか経験できないことを経験できました。注目される半面、練習に集中できないこともありましたが、そういった時に自分をコントロールする術も大学時代に身に着けることができました。
 僕は箱根駅伝で結果を出したことでその後の進路も決まりましたし、そういう意味でも、箱根駅伝は自分を表現できる場と言ってもいいでしょう。
 大学4年間を通して、箱根駅伝を見据えて競技に取り組んできたことは、その後のマラソンにおいて日本記録を出すことにも繋がっているのかなと思っています。
 箱根駅伝には私自身が成長させてもらいました。この舞台で活躍する選手が、その先に日本代表などを目指していく。そんな良い循環ができていると思っています。
(最後の写真:西村尚己/アフロスポーツ)