◆ 川内優輝さん
埼玉県出身。春日部東高から学習院大学に進み、2年時と4年時に関東学連選抜の一員として6区を走り、83回大会区間6位、85回大会区間3位と好走した。大学卒業後は埼玉県庁に入庁し、公務員ランナーとしてマラソンを中心に活躍。2019年にはプロランナーに転向した。2018年4月のボストンマラソンを制したほか、世界選手権には4度出場している。


 高校時代の私は、ケガもあり、県大会止まりの選手でした。箱根駅伝は、走ってみたいと思いながらも、自分とは関係のない世界のことのようにも感じていました。
 ただ、走ることは小1の時から続けてきており、陸上競技をやめるという選択肢はありませんでした。
 とはいえ、高校でケガをしていた自分が強豪大学の練習に耐えられるのか不安でしたし、楽しく走るだけなら同好会でも良かったかもしれませんが、ケガが治って記録が伸びた時に、学連選抜で1回ぐらいは箱根駅伝を走りたいという希望も捨ててはいませんでした。そこで、あえて駅伝の強豪校ではなく、学習院大学に進学しました。

 学習院大学は、本選ではなく箱根駅伝予選会を目標にしているチームです。
 当時はなんとか毎年出場していたものの、メンバーを揃えるのに苦戦し(※10人が参加標準記録をクリアしなければエントリーできない)、予選会に出ること自体が大変でした。
 私の高校時代の5000mの記録は15分7秒でしたが、大学1年の秋に一気に14分38秒49まで伸びました。関東学連選抜に手が届くかもしれないと、その時に可能性を感じました。そして2年生の箱根駅伝予選会で37位となり、学習院初の箱根駅伝選手に向けて一歩前進しました。

 本大会では6区を希望していました。高校時代から下りの走りには自信があったからです。メンバー選考がかかった学連1万m記録挑戦会で、自己記録を1分30秒更新する29分28秒で走り、希望が叶って6区を走れることになりました。
 その年(2007年・第83回大会)から学連選抜の順位が正式に認められるようになりましたが、本選では5区でキャプテンの涌井圭介さん(拓殖大)が脱水症状を起こし、往路を最下位で終えました。涌井さんはキャプテンとしてみんなのことを気にかけてくださっていただけに、その衝撃は大きかったです。ですが、ふらふらになりながらもタスキをつないでくれたおかげで順位が残るわけです。懸命につないでくれたことに感謝しかありませんでした。
 復路は一斉スタートでしたが、“最下位なんだから、タスキさえつなげば文句は言われないだろう”と開き直って、思い切って実力者の松垣省吾さん(法政大)に付いていくことにしました。ハムストリングスが攣りそうになりながらも、区間6位で走り切ることができました。

 この箱根の結果が自信となり、3年生の時は、関東インカレ(2部)でハーフマラソン3位に入り、5000mも1万mも自己記録を更新しました。しかし、箱根駅伝予選会では過度なプレッシャーに負け、172位に終わりました。もちろん学連選抜に選ばれることもありませんでした。
 その年の学連選抜は過去最高の4位に入っています。自分がその一員ではなかったことが本当に悔しかった。“来年こそ”という思いを強くしました。

 雪辱を誓ったものの、学習院ならではの悩みが付き纏います。1学年上の先輩がごそっと卒業し、予選会に出場できるかが怪しい状況となったのです。
 新入生がたくさん入ってくれましたが、予選会に出場するには、当時の参加標準記録5000m17分を10人が切らなければなりません。なかなか人数が揃わず、私自身も公務員試験のかたわら、記録会で後輩のペースメーカーを務めるなど必死でした。埼玉県庁の一次試験の前日にもペースメーカーを務めたほどです。チームメイトも“予選会に出場して、川内をもう一度選抜に送り出すぞ”と一生懸命になってくれました。

 そして、予選会が1カ月後に迫った9月20日の記録会で、ついに10人目の選手が17分を切りました。タイムは16分59秒76と、わずか0秒24上回りました。本当に綱渡りで、なんとか予選会出場にこぎつけました。
 ですが、苦難はまだ続きます。予選会3日前の最終調整で、ハムストリングスに痛みが走ったのです。普通に走れば学連選抜に入れる自信があったのですが……。本番までは、ケガが多かった高校時代の知識を総動員し、温泉で交代浴をしたり、鍼に行ったりと回復に務めました。それで、まだ痛みは残っているものの、なんとか走れる状態にはなりました。
 さらに予選会本番でもトラブルに見舞われます。レース途中で両足の親指の付け根に血豆ができ、足を着く度に痛みが走りました。でも、かえって、その痛みのおかげでハムストリングスの痛みを感じずに済みました。38位で走り切ることができ、なんとか学連選抜入りを果たすことができました。
 箱根駅伝に出場するまでには小説や漫画のようなストーリーがあったのです。

 最後の箱根駅伝(第85回大会)も6区で、2年生の時に果たせなかった60分切りを果たし、59分27秒の区間3位で走ることができました。10位の中大には届かなかったものの、2つ順位を上げて11位でつなぎ、シード権への望みを後の走者に託しました。
 学連選抜は7区の梶原有高君(松蔭大)が区間5位、アンカーの佐野広明君(麗澤大)も区間2位と好走。12位でタスキを受けた佐野君が1つずつ順位を上げるたびに、みんなのテンションも高まっていきました。
 9位でゴールした佐野君に駆け寄り、みんなで胴上げした瞬間は最高潮。学連選抜は「寄せ集めに過ぎない」とか「何の絆もない」などと言われることもありますが、間違いなく、その瞬間はチームになっていたと思います。
 総合順位は前年に及ばなかったものの、復路3位の成績は学連選抜の歴史上最高順位です。タスキをつないだメンバーとはその後も交流が続いています。
 これまで学習院大は箱根駅伝に縁がありませんでしたが、私が出場したことを、大学関係者も喜んでくれました。
 特に4年生の時には学生部の職員の方々がカンパで幟や横断幕を作って沿道で応援してくれました。函嶺洞門を抜けて、右手に『川内優輝 夢をありがとう!!』の文字を見た時にはこみ上げてくるものがありました。
 応援団も、団長が引退の時期を1月まで伸ばし、総勢100人で芦ノ湖まで応援に来てくれました。応援団にとっても箱根駅伝は歴史に残る出来事になったのかもしれません。団長にはとても感謝をしています。
 一方で、学連選抜で箱根駅伝を走ることは、1人で大学関係者の期待を一身に背負うわけですから、ものすごいプレッシャーも感じました。実際に、大学3年の予選会ではプレッシャーに負けてしまったわけですから。ただ、そういった経験があって、後に世界大会で戦う際に重圧に耐えることができたと思っています。そういう意味で、箱根駅伝は世界につながる精神力を養う場になっていました。

 また、2018年のボストンマラソン優勝は、箱根駅伝を走った経験が生きたと思っています。ボストンは下り基調のコースで、その年は体感気温が氷点下になるほど寒かった。まさに箱根駅伝の6区のようで、世界の強豪選手が相手でも、寒い上に下り坂なら自分は強いはずだと思うことができました。その自信の原点が箱根駅伝でした。
 箱根駅伝は人生を変えるほど大きな舞台ですし、人生をかける価値のある大会だと思っています。
(最後の写真:AP/アフロ)