◆ 服部翔大さん
1991年生まれ。埼玉栄高から日本体育大学に進み、4年連続箱根駅伝出場。第89回大会では3年生ながら主将としてチームを引っ張り、5区区間賞を獲得。日体大の30年ぶり10回目の総合優勝に貢献した。卒業後はHonda、日立物流所属を経て、現在は立正大学陸上競技部プレイングコーチ。


中学から中距離をやっていて、埼玉栄高校へは800mの推薦で入ったんですが、4月の日体大記録会で5000mを走ったらいきなり14分50秒25で走れちゃったんです。そこから長距離に本格的に取り組みました。走ってみたらスピードに自信はあったので、最後の勝負になれば勝てる、とも思えました。

3年間都大路を走らせてもらい、日体大に進んでいた1つ上の先輩から声をかけてもらって進学することにしました。1年から箱根駅伝のメンバーに選ばれ、3区を走って区間2位。2年生の時は1区で区間2位でした。ただチーム的にはズルズルと順位を落としてしまって、襷も途切れてしまって19位になってしまいました。

でも2年生だったこともあってあまり責任を感じてなくて、正直なところ「俺はいい走りしたから、3年、4年で頑張ればいっか」ぐらいの軽い気持ちでいました。そうしたら新チームになったタイミングで主将に指名されて……。完全にサプライズです。まったく聞いていませんでした。「まじか!」って思いましたよ。何をすればいいのか全くわからなかったので、集合するタイミングでは必ず監督の隣に立つなど、必ず指示する人の隣にいるようにしました。

予選会の時はけがをしていましたが、とにかく途中までは引っ張ろうと思って引きました。結果的に先輩にも助けられて、みんな自分より早くゴールしてくれて安心して通過できました。安心しすぎて、みんなで弁当を食べていたら発表が始まっていたのは、今でもちょっと心残りですけどね(笑)。

5区に指名された時は、ずっと走りたかったこともあり「ついにきたか!」と思いました。当日襷をもらって、山に入ったらあまりにキツくて「誰がこんなところ登ったんだよ!」と思いましたけど(笑)。記録を出そうとか何も考えていなくて、ただ走りきろうと思っていました。

後ろから早稲田の山本修平選手が追いかけてきて、「速いな〜」と思ったんですけど、並ばれた後にそこまで差が開かなかったので「これはついていけるな」と感じました。2人で走っていたら東洋の定方俊樹選手が見えてきて、三つ巴になりました。1回上りが落ち着いたところで定方選手が離れて、山本選手に引っ張っていってもらいました。最後の上りでリズムが遅くなり、ここで出ればいける!と感じてスパートをかけて、往路優勝のゴールテープを切れたんです。すごくいい気分でしたね。

客観的に見て東洋大に復路で追いつかれてしまうのでは、と思っていましたが、どんどん「いけるかも」という気持ちに変わってきました。大手町でアンカーを迎える時、「本当にうちの大学が優勝できたんだ」ってすごく盛り上がりました。自分たちが入学した時、1つ上の代が4年生になった時に優勝を狙えるんじゃないかと言われていたので、まさに有言実行だと思います。金栗四三杯に自分の名前を刻めましたし、3年生キャプテンとして優勝、前年19位からの優勝と、いろんなものがうまく噛み合って、流れを変えられたかなと思います。

それにしても、優勝するとこんなに注目されて、いろんな人に声をかけてもらえるんだとびっくりしました。箱根の直後の帰省期間に地元の友達とスキーに行って、スキーウェア着て、ゴーグルを外して頭につけてる状態でも「箱根駅伝走ってましたよね」って言われてびっくりですよ。そこまで注目されている大会だって改めて実感しました。

4年生の時は当然連覇を期待されましたが3位にとどまり、現実を知りました。そううまくはいかないなと……。個人としても2年連続5区を走りましたが、設楽啓太と同タイムだったはずなのに正式結果が出たら1秒負けて区間2位になっていて、ちょっと今でももやっとしています。

社会人になってからは、Hondaから日立物流に移籍したあと、けがによる痛みを我慢しすぎてしまい、結果的に足の甲の骨が壊死してしまい、走るのが難しい状態にまでなってしまいました。もっと早く対処していれば、ともったいない気持ちです。日立物流をやめた後は大学院で勉強しながら指導者になりたいな……と漠然と考えていたんですが、立正大が「勉強をやりながらでもコーチをやってくれないか」と声をかけてくれ、受けてみることにしました。

立正大の学生たちを見ていると、「箱根に出場する」というのが漠然とした目標になりすぎているなと感じています。中間層の実力は他校とそこまで差がないと思っているので、あとは練習への取り組みと意識ですね。「箱根ってどんな感じなんですか」と学生たちから聞かれるので、「お前らがもし出場決めて結果出してみろ、ミッキーに負けないぐらい人気者になれるから目指してみな」って言ったりしてます(笑)。

箱根駅伝は、夢のゴールでもあるし、スタートラインでもあると思います。個人的には4年間箱根駅伝を走らせてもらって、普通ではできない経験をして、すごく自分の人生にとってプラスになったと思います。注目されて、良くも悪くも目立つからこそ一つひとつの行動を心がけないといけないと思うようになりました。

箱根を走ることをゴールにして目指していたら、そこで終わってしまう。「箱根から世界へ」という言葉の通り、もっとそこを視野に入れる選手が増えていったらいいなと思います。もし大学で陸上を辞めて就職するとしても。箱根の経験は絶対に活かせるので、大切にしてほしいです。次は100回大会。こんなに注目されている大会もそうないので、100回大会ならではのドラマを走る選手も見る人もみんな、楽しんでほしいですね。