◆ 金指ウッドクラフト
箱根町畑宿にある、無垢の寄木細工を確立した職人・金指勝悦(かつひろ)さん(享年82)の作品を扱う直売所と工房。毎年箱根駅伝往路の優勝トロフィーを制作している。昨年、勝悦さんが亡くなってからは妻・ナナさんが代表を務めている。営業時間10:30~15:30、毎週月・水曜定休日。
箱根町から依頼を受けて、1997年から箱根駅伝往路の優勝トロフィーを作らせていただいていますので、次で28回目になります。
もともと寄木細工は、スライスした木を箱などに貼り合わせる手法でしたが、主人は1つの木のかたまりを削っていく「無垢の寄木」を考案しました。それで色々な形を作り出せるようになり、トロフィーのような複雑な形も作り出せるようになりました。
毎年トロフィー制作は、1月から8月くらいまで、その時の世相を反映して構想を練り、9月頃から作り出します。藤井聡太さんが活躍された時は将棋の駒や将棋盤を、富士山が世界遺産に登録された時は芦ノ湖面に映る逆さ富士を、東京五輪の時は5つの輪、市松模様とパラリンピックのスリーアギトスを…など、その年に起きたことをもとに主人がデザインを決めていました。
箱根駅伝は毎年芦ノ湖で見させていただき、ここにある写真は全て主人が撮ったものです。
おかげさまで皆さんに喜んでいただき、柏原(竜二)さんはよくお店に来て下さり、寄木の体験をして下さったり、亡くなった時はいろいろな大学の監督さんがお花を出して下さいました。
主人は8年ほど前に血液のがんを患い、一度は寛解しましたが、昨年4月に再発してしまいました。それでも病院に入りたくないと、亡くなる1か月前まで、立つことができなくても工場に入っていました。入院する事になっても、病室でトロフィーの事を考えながら、ロシアのウクライナ侵攻に胸を痛め、ベッドで折り鶴を折ったりしていました。昨年7月に亡くなってしまいましたが、いつも「人種の違いやハンディキャップに関係なく、みんなが一つになって欲しい」と言っていたので、その言葉をもとに、私がデザインを考え、お弟子さんたちが仕上げてくれました。10人の人たちが手をつなぐようにいるのは、平和への願いを込めてです。
主人は図面をかかない人なので、頭の中のデザインを形にするのはとても大変でした(笑)
実は100回大会の往路優勝トロフィーは、体が悪くなる前の昨年1月に作り上げていました。コロナ禍がおさまり、未来に明るい光がさすようなイメージだと本人は言っていました。ここ数年は(コロナ禍で)芦ノ湖の表彰式がありませんでしたが、今回は復活するようなので、主人も見たかったと思います。
101回大会以降は弟子たちが引き継ぐことになり、責任重大です。箱根町から依頼を受けられる限りは、工場が一丸となって、金指ウッドクラフトチームで頑張ります。