◆ 箱根恵明学園
1949年11月に開園した児童養護施設。箱根駅伝5区・6区の沿道での応援は名物となった。2019年5月に宮ノ下の旧箱根町立温泉小学校跡地へ移転。新校舎は駅伝コースには面していないが、その後も応援を続け、70年以上にわたり選手たちを励ましている。


当園は昭和24年小涌園の地に発足、児童養護施設として本格的に動き出したのは翌年、そして箱根駅伝の応援は昭和26年からです。
開園当時は東京世田谷区成城(現・東京恵明学園)からの戦災孤児と県内の子供たち約70名でした。私は昭和28年生まれ。父は副園長、母は保育士をしておりました。

日本テレビのテレビ中継が始まるまではNHKラジオが主流でした。当時から学園周辺で駅伝を応援する人は、園児・職員とその家族、そして里帰りした卒園生でしたが、大太鼓やトランペットでのにぎやかな応援でした。当時はNHKアナウンサーの北出(清五郎)さんや西田(善夫)さんが中継車に乗っており、復路の2号車などは学園で待機していました。アナウンサーはドラム缶での焚火で暖をとりながら待機していて、園児との話をラジオ放送してくれたことが何度かありました。

神奈川県の児童福祉施設では私の父・幸二郎の提案で昭和43年から児童駅伝大会を始めました。また施設を卒業しても逞しく社会で生活していけるようにと冬には10kmマラソン大会も行っており、今も続いています。私は中学時代野球部でしたが、施設の陸上部にも所属、短中距離の選手でした。小田原城山競技場で順天堂大の澤木啓祐さんに下り坂を走るテクニックを教わり、6区山下りの難しさを改めて知りました。箱根では走ることを「飛ぶ」と表現しますが、選手の多くは下り坂を2.5mほどの歩幅で走っているようです。そんなすさまじいスピードでのレースが箱根駅伝の見どころでもあります。

昭和62年63回大会より日本テレビによる中継が始まりました。学園で暮らすたくさんの子供たちがにぎやかに応援する光景を、固定カメラで映して下さいました。このカメラ設置、放映により箱根恵明学園、何より全国の児童養護施設の認知度が上がり、当園で育った人たちにとって励みになっています。

平成最後となる第95回大会は当園が宮ノ下へ移転した年、そして創立70周年でもありました。日テレは取材を重ね、学園の紹介をしてくださいました。ここで生活する子供たちや、移転を機に退職する保育士の大橋ミチさん(58年間当園にて勤務)もです。放映後多くの視聴者がネットで感想を投稿して下さり驚きました。とてもいい記念です。

当園担当の日本テレビスタッフの皆様、大みそかからの準備や元旦のリハーサル、そして本番、復路は朝5時前からの作業など、33年間の素晴らしい交流がありました。当園は水道・トイレ・校舎の利用もでき一番良い場所とのお言葉も嬉しい限りです。
私はこの箱根駅伝に関わる皆様、選手はもちろん中継車に乗る方、そして白バイ隊などが通過するごとに「ガンバレ!」と大きな声援を送ります。正月の大イベント、100回を迎えるこの大会に心よりエールを送ります。
最後に、児童養護施設が必要でなくなる社会、子供たちにとって幸福な社会、戦争のない世界であることを祈ります。