第12章 牢獄から死刑台へ

ルイ16世は裁判にかけられた後、1793年1月21日にギロチン刑に処される。7月には王妃と次男が離別させられる。長男は、革命の諸事件が起こる前夜の1789年6月に亡くなっていた。母親としての悲しみや絶え間ない屈辱を耐え忍びながらも、マリー・アントワネットが王妃としての威厳を失うことはなかった。8月2日にコンシエルジュリ監獄に連行され、10月14日には革命裁判所に出頭したが、その裁判は偽証と中傷に満ちたものだった。有罪判決が宣告され、16日の正午頃、王妃は国家反逆罪によってギロチンにかけられた。

アレクサンドル・クシャルスキ 《タンプル塔のマリー・アントワネット》 1793年頃 油彩、カンヴァス 24×18cm ヴェルサイユ宮殿美術館 ©RMN-GP (Château de Versailles)/©Gérard Blot
《タンプル塔のマリー・アントワネットのシュミーズ(肌着)》 1793年頃 リネン、綿 101×83cm パリ、カルナヴァレ・パリ歴史美術館 ©Fr. Cochennec et C. Rabourdin/Musée Carnavalet/Roger-Viollet
《マリー・アントワネットの首周りの装身具(伝 王妃のヘアバンド)》 1784年頃 綿、黒いレース、額装 32.5×26.5×4cm パリ、カルナヴァレ・パリ歴史美術館 ©Fr. Cochennec et C. Rabourdin/Musée Carnavalet/Roger-Viollet
ウィリアム・ハミルトン 《死刑に処されるマリー・アントワネット 1793年10月16日》 1794年 油彩、カンヴァス 152×197cm ヴィジル、フランス革命美術館 ©Coll. Musée de la Révolution française/Domaine de Vizille
《マリー・アントワネットの「サン=チュベルティ風の」短靴》 1790–1793年頃 皮革、絹の飾り 10.2×23.2×6.8cm カン美術館 Musée des Beaux-Arts de Caen, cliché Martine Seyve

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