第13章 殉死した王妃の崇拝

マリー・アントワネットの図像表現は無数にあるが、クシャルスキが描いた彼女の最後の肖像画は、ルイ16世の死を悼む喪服姿で表されている。この絵と、死刑台にのぼる直前にダヴィッドが描いたクロッキーは、のちに王党派のいわば「聖画像」となり、王政復古期の1814年からブルボン家が断絶する1830年のあいだに、前例がないほどの規模で広く流布した。
国外でも画家たちが国王一家の末路を主題とする作品を広く流通させた。亡くなった王妃のイメージは、その後、ロマン主義的な崇拝の対象となる。19世紀後半には、殉死した王妃はある種のイコン〔崇拝の対象となる図像〕となり、プチ・トリアノン時代の幸福な思い出と表裏一体となった。彼女のかつての調度品や思い出が正真正銘の崇拝の対象になったのである。歴史の中のマリー・アントワネットは、ある時は悲劇のヒロインであり、ある時はトリアノンの無邪気な羊飼いであるが、いずれにしても彼女は伝説となって今なお生きているのである。

王立ゴブラン製作所 エリザベト=ルイーズ・ヴィジェ・ル・ブランの原画に基づく 《マリー・アントワネットと子どもたち》 竪機織のタピスリー、羊毛、絹 282×210cm パリ、国有家具調度保管庁 ©Mobilier national. Photo, Philippe Sébert

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