ジャン・ルノワール Jean Renoir(1894.9.15-1979.2.12)

1894年
9月15日、パリのモンマルトルで生まれる。
1897年
家政婦のガブリエルに連れられ、デパートの無料上映で、初めて映画に接する。
1915年
第一次世界大戦で脚に銃撃をうけ、生涯痛みに苦しむ。
母アリーヌ、56歳で死去。
1916年
この頃、チャーリー・チャップリンをきっかけに映画に興味を持ち始め、特にアメリカ映画に熱中する。
1919年
父ピエール=オーギュスト・ルノワール、78歳で死去。
1920年
父の最後のモデルを務めたアンドレ=マドレーヌ・ユシュラン(通称デデ、のちに女優としてカトリーヌ・ヘスリングと名乗る)と結婚。
1921年
息子のアランがコレットで生まれる。
1924年
妻を映画に出演させるため、『カトリーヌ』(監督アルベール・デュードネ)を製作。
『水の娘』(主演カトリーヌ・ヘスリング)で初監督を務める。
1926年
『女優ナナ』*(主演カトリーヌ・ヘスリング)
1931年
『牝犬』*
1934年
『トニ』*
1936年
『ピクニック』*(主演シルヴィア・バタイユ)
1937年
『大いなる幻影』
『ラ・マルセイエーズ』*(主演ピエール・ルノワール)
1939年
『ゲームの規則』*ジャン本人も出演する。
1940年
当時のパートナーであったディド・フレールと共に、大戦を逃れてアメリカに亡命。
1944年
ディドと結婚。
1946年
『小間使の日記』*
1949年
カトリーヌ・ヘスリングとの離婚が成立。
インドで、初のカラー映画となる『河』*を撮影。
カリフォルニアに新居を建てる。新居には父の作品《狩姿のジャン》(本展出品)を飾り、庭にコレットのオリーブの木を植える。
1952年
兄ピエール、67歳で死去。イタリアで『黄金の馬車』*を撮影。
1954年
『フレンチ・カンカン』*でフランス映画に復帰。
1956年
『恋多き女』*(主演イングリッド・バーグマン)
1959年
ガブリエル死去。
父が晩年を過ごしたコレットを舞台に、『草の上の昼食』*を撮影。
1962年
父について語った回想録『わが父ルノワール』刊行。
1969年
弟のクロード、68歳で死去。
1975年
アカデミー賞の特別名誉賞を受賞。
1979年
2月12日、カリフォルニアの自宅にて死去。享年84歳。
父と兄が眠るフランスのエソワの墓地に埋葬される。

(*本展に出品される作品です。)

ピエール=オーギュスト・ルノワールのプロフィール>