DASH島開拓史

舟屋の屋根に瓦を葺く2013/12/15

舟屋の屋根の土葺きに必要な、粘土質な土と瓦がようやく集まった。
結局、土は20kgの土嚢が40袋、瓦は1000枚以上となった。
さらに、雨水対策として、“柿渋"を染み込ませた古新聞を屋根に敷き詰める。
DASH村でも古民家の柱に塗った柿渋は、防水効果がある天然の防腐材。
そして、瓦を葺く時に接着剤代わりとなる土は、水で練って丁度よい粘土状に、数に限りのある瓦は、個々の形状に合わせた位置に、順番に並べていく。
瓦葺きは、土を置き、その上に1枚瓦を載せる、そんな地道な作業の繰り返し。
そんな中、城島は、舟屋にも厄除けが必要だと思い立ち、その道の匠の元でひとり、舟屋の屋根に据える“鬼瓦"を製作していた。
それは、メンバー一人一人の顔を模した、5体の鬼瓦であった。

そして、瓦葺きも大詰めを迎えようとしていた中、大型の台風が島を直撃。
上陸もできず、心配していた舟屋の屋根は、一部、瓦が吹き飛ばされていた。
だが幾度となく、自然の脅威を思い知らされてきた、今回はまだ被害は少ない。
残っている材料で瓦を修復し、これからの舟屋の安全を願いつつ、屋根の真ん中に、どんと厄除けの鬼瓦を構えた。

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無人島の生き物たち2013/12/8

一人、調査のためDASH島に上陸した城島。
以前、ヘビがいた洲で、この日は鳥と思わしき骨を発見した…。
まだまだ、新たな発見があるこの島で、これまでも多くの生き物と出会った。
潮の引いた石の下には、奇妙な軟体動物、大きな貝や小さなカニの姿。
森にはクモが巣を張り、巨大ムカデやトカゲが徘徊し、カメが身を潜めていた。
さらに、猛暑の影響か、セミやハエ、ダニの仲間までもが大量発生した。
そして、古井戸を始め、至る所にわがもの顔で現れたのが、“アオダイショウ"。
毎回のようにアナゴの仕掛けに掛かる“ヌタウナギ"も、名物となった。
貴重な食料となる木の実や豆、海藻などのほかには、天然の整髪料にも使える一風変わった植物も見つけた。

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粘土探しと瓦集め2013/11/3

舟屋の屋根の“土葺き"には、約2トンの土と1000枚の瓦が必要だった。
そこで、手分けをして、島中の粘土質な土と瓦を集めることになった。
山の中腹の土を探っていた城島は、標高120地点で新たな廃屋を発見。
そこには、作物を洗うためのものか、石造りの炊事場らしき跡も。
北側の斜面を捜索していた太一と松岡は、柑橘系の実が生る木を見つけた。
かつての住民が作物として育てていた可能性もあるが、長年、手入れをされず、放置された木々は、ほとんど枯れてしまっていた…。
達也と長瀬は、砂浜近くの森の中で、沢の痕跡をたどって、その上流へ。
辿り着いた高さ30mの崖の上で、土葺きにぴったりな粘土を見つけ出した。

さらに、気の遠くなるような瓦集めの最中には、小さなネズミとも遭遇。
そして、トロッコと人力で、地道に運んだ瓦と採取した土は、舟で港跡へ運ぶ。
そのために、風の力を借りて進む帆船に改造していた舟をさらに強化。
前回の失敗を踏まえ、土台を頑丈に、マストを制御できるようハンドルも装備。
なんとか出航し、舟屋の屋根の材料を運び始めたが、先はまだまだ長い。

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待望の日蔭2013/10/20

この日、達也が調達したのは、身の詰まったイワガキ。
そんな旬の味覚で腹を満たし、いよいよ基地となる舟屋作りは屋根部分へ。
屋根には“垂木(たるき)"と呼ばれる角材と、その上に下地となる“野地板(のじいた)"が必要。
さっそく、廃屋や朽ちていた小屋など、島のあらゆる場所から材木を調達。
それでも足りない分は、伊根から頂いた舟屋の材木を加工して補充。
屋根の骨組みとなる垂木に、野地板を打ち付け、3日がかりで仕上げた。
そして、最終段階、屋根葺きは、土の粘着力で瓦を固定する“土葺き"。
そのために必要な粘土質な土を、手分けして島から採取することにした。

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夏の終わりの野草探し2013/10/13

少しばかり野草に詳しいという、北海道育ちの松岡の先導で、無人島に自生する野草探し。
まず、港跡で見つけたのは、フキの仲間“ツワブキ"。
冬の若葉が美味いが、時期がまだ早いので茎を採取した。
続いて、沖縄で長生きの元とされている“ボタンボウフウ"、別名・長命草(ちょうめいそう)、さらに南側の浜では、葉から独特の臭いを放つ“クサギ"をゲット。
山では、秋の成長が楽しみな、天然のヤマイモ“自然薯(じねんじょ)"の葉を発見した。
しかし、無人島では油もなければ調味料もなく、茹でただけ調理。
クサギの強烈な苦味に悶絶し、少し苦い思い出となった…。

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舟屋の棟上げと、よみがえる古井戸2013/9/15

その出会いは森の中、以前、採ったキノコを探しているときだった。
山の中腹あたりに掘られた穴の中に一匹、ひっそりと身を潜めるクサガメ
かつての井戸と思われるその穴は、水場でもなく、日光すら当たらない場所。
誤って落ちてしまったのか…とにかくこの環境でこいつは生きてはいけない。
何となく放ってはおけず、井戸穴から出し、森に帰してやることにした。

一方、波や潮に流され、目的地にさえたどり着けないこともしばしばあった、DASH島の手漕ぎ舟。
もっと推進力を上げたいと、思いつきで製作に取り掛かったのが「帆」。
参考にしたのは、沖縄で経験した、風を受けて縦横無尽に進む“サバニ舟(せん)"。
急きょ漂着物の丸太のマストと、廃屋から調達してきたトタン板で作った帆を舟に取り付け、海へ繰り出してみたものの、ありあわせで作ったマストと帆は、沖の風にあおられ、自重に耐え切れず根元から折れてしまった…。

こちら、基地となる舟屋の骨組み作業は、最終段階。
1階から2階部分に続く支柱に、補強の半間、柱間の桁、床や屋根などの荷重を支える梁を組み上げ、舟屋の骨格が徐々に形となった。
最後に、屋根の頂点を支える棟木(むなぎ)を取り付けて、すべての骨組みが完成。
無事に棟上げとなったことを感謝し、ささやかな「上棟式」を執り行うことに。
島の臼でついた餅、漂着物でこしらえた幣串や破魔矢の飾りも準備。
ここまで、無人島開拓に尽力して頂いた、尾谷棟梁をはじめ、黒部の鉄道マン、トロッコ設計の社長、井戸職人の方々と、“餅投げ"で喜びを分かち合った。

そして、森に残る古井戸の再生作業は、10か月がかりとなった。
荒れ放題だった井戸の内部を掃除するため、草をむしり、井戸水で苔など石の汚れを洗い落とす。
長い年月の末にヘドロ化した自然の堆積物、真っ黒に濁った水もすべて汲み出さねばならない。
連日、井戸の中に入り、ある程度汚れを取り除いたら、今度は、井戸の底でろ過装置の役目を果たす石を浜から集め、井戸に投入。
さらに、ゴミや臭いを吸着する浄化効果に期待して、森から集めた木材で「炭」づくり。
木材を入れた窯を空気が入らないように密閉し、火を入れて焼いていく。
出来上がった自家製の炭は、井戸に入れて数週間後には、底の石が見えるほど透明な水にしてくれた。
まだ、煮沸後の飲料となるものの、成果は確実に出ていた。

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古井戸の再生2013/8/18

無人島には欠かせない、「水」の確保。
この島で、安定した飲用水を得られる見込みがあるのは、森の中の古井戸だけ。
だが、長年放置されてきた井戸の水は、水質検査の結果、細菌の巣窟。
そして、内側の壁は、雑草に苔、ヤモリの卵が巣食う劣悪な環境。
そんな飲める水には程遠い井戸を、古井戸のスペシャリストである井戸職人・安田さんに協力を仰ぎ、本格的に再生に挑む。
しかし、この古井戸は80年以上前に作られた石積みの井戸。
安易に中で作業をすると、石が崩れて生き埋めになってしまう危険性があった。
そこで、安田さんの指導の下、井戸の中に補強の枠を組んでいく。
深さ5m、人一人がやっとの空間の中で枠組みを組むのは、至難の業だったが、なんとか枠組みは完成。
次は水質を改善するために、まず水を汲み出し、湧水を循環させていく作業。
そして、細菌だらけの水を何とか消毒できないかと知恵を絞り、島で調達できる、殺菌作用のあるとされる海藻“クロメ"と、ヌタウナギのネバネバ“ムチン"を井戸に投入し、ひとまず効果を試すことに。

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本格的に骨組み作業へ2013/8/11

足場も完成し、いよいよ本格的に舟屋の骨組みを組む作業に取り掛かる。
島の廃屋で眠っていた材木を、半間(まなか)という補強用の柱に加工し、新たな建材に生まれ変わらせ、土台に1本1本挿し立てていく。
立てた半間の上には、桁(けた)という柱を横へ渡し、さらに梁(はり)で桁と骨組みを繋ぐ。
すべては人力、手作業。
息を合わせ、全員が一丸となって、一つ一つの工程を着実にこなしていく。
そして、この日、やっと出来上がったのが、1階天井のほんの一部分。
先はまだ長いが、2階部分から初めて見る島の雄大な景色は、これからの開拓へ向けて意欲をかき立てられた。

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舟屋の足場完成2013/7/28

強い柱を実現するため、休みなく作業を続けていた舟屋の足場が組み上がった。
そして、立てた柱を足場にしっかり固定、一度倒壊した柱が再びよみがえった。
これで、やっと本格的に舟屋の骨組みに取り掛かることが出来る―。
一方、無人島での疲れは、無人島の自然が癒してくれた。
太陽が照りつける中、碧い海で、束の間のリゾート気分で羽を休める。
そして、上陸から10か月、見えてきた課題は、食料調達での成果のなさ。
四方を海に囲まれている環境だけに、もっと効率よく海の幸を得たい。
そこで、長瀬は、竹などのあり合わせの漂着物で、オリジナルの竿を製作。
これが思いのほか、メバルやアジなどを釣り上げ、上々の釣果を達成した。

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大潮の恵み2013/7/14

年に数回訪れる、潮位の干満差が最も大きくなる「大潮」。
この日は、DASH島上陸後、初の大潮による引き潮の日だった。
ここぞとばかりに、いつもは海の底であろう場所を歩きながら、普段は獲れないような獲物を探しに繰り出した。
まず見つけたのは、大潮の干潮時だけ出現する、島の東側に広がった浜。
そこには、初めて見る小魚や、巨大な軟体生物・アメフラシとその卵を発見。
また、以前、別の干潮の時に大漁だった港跡でも、期待を胸に食料探し。
すると、潮だまりで泳ぐ魚達はじめ、タコやナマコと、予想通りの大漁。
達也は銛で、ウマヅラハギ、カレイを一発で仕留める豪腕ぶりを発揮した。
さらに、沖縄で培った“追い込み漁"を仕掛け、思いがけずマアナゴを捕獲。
島の大潮がもたらしたのは、予想を超えた海の恵みだった。

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丸太足場の組み上げ2013/6/30

軟弱だった舟屋の柱を再建するため、島に運び入れたのは“丸太足場"の資材。
舟屋の基礎を囲むように足場を組めば、立てた柱を強く支えられるだけでなく、骨組みを建てる際も、作業がはかどるのではという狙いだった。
なんとか作業のペースを上げたいと、さっそく舟屋片側の足場を組み上げた。
一方、作業の合間をぬって、上陸以来、未踏だった小島の調査へ向かった。
その道中、線路の脇で、とぐろを巻くヘビ“アオダイショウ"を発見。
そして、波が打ち付ける断崖絶壁が続く一帯には、やはり洞窟があった。
さらに、その高い崖の上では大きな鳥が棲む気配…。
そこに、ヘビを獲物にする大型の猛禽類がいても不思議ではない。

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柱の修復とよもぎ餅2013/6/16

大人の男14人がかりで建てた舟屋の柱も、自然の脅威の前では無力だった。
DASH島を通過した爆弾低気圧は、太い柱をいとも簡単に倒壊させた。
達也が何時間も費やして継いだ長柱は、その強靭と言われる伝統の“金輪継ぎ"の部分から折れてしまっていた。
舟屋のプロでさえ困惑する中、泣き言を言っている暇もなく、遅れを取り戻すため、修復に取り掛かった。
一方、山の森の中では、ある区画を壁のように囲った石垣と、その周辺に点在する、井戸のような水溜めを発見。
さらに、浜ではどこからか流れてきたのか、石臼。
せっかくなので、山で見つけたヨモギを使って、よもぎ餅をついたのだった。

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波乱の幕開け2013/5/19

京都伊根町で頂いた舟屋の材木を無事、自分たちの手で島に運び込んだ。
今度はその材木を、4日かけてトロッコで入り江まで移動させ、基地となる舟屋の骨組みとして、組み立てる作業を開始した。
DASH村で培った古民家移築の経験はあったが、長さも太さもバラバラの材木が相手で、組み上げていくのは容易ではなかった。
長柱(ながばしら)とする材木が足りないときは、伝統の継ぎ手“金輪継ぎ(かなわつぎ)"で、短い材木を継ぎ足すことで乗り切った。
最後に土台に柱を立ち上げる作業は、総勢14名の男たちが力を合わせた。
だが、その築き上げた努力の成果も、自然の前ではあまりにも無力。
島に吹き荒れた嵐によって、無残にも破壊されてしまった…。

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初めての春と生き物たち2013/5/12

DASH島上陸後、初めて迎えた春。
強風吹き荒れる嵐の中、森の奥できいたのは、春を告げるウグイスの鳴き声。
そして、春の無人島では、まだまだ知らない未知の生物たちが姿を見せた。
この日、食料調達のために入った森では、なぜか毒のある植物が目につき、浜でも得体の知れない生物が多く、どれも食料にできないものばかり。
しかし、そんな中で強運を見せたのが達也だった。
大潮で海底がむき出しになった港跡で、石の下に潜むテナガダコを発見。
ほかにも、天ぷらにしても美味しい、ダイナンギンポも大漁と大手柄。

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DASH島の兜2013/5/5

DASH島を襲った爆弾低気圧は、その強風で多くの漂着物を島に運んできた。
この品々を材料に、「兜(かぶと)飾り」を作ろうと提案したのは、城島だった。
5月5日“こどもの日"に兜で災いを振り払う、そんな端午の節句の慣わしにのっとり、男たちも島の無事を願って兜を作った。
出来上がったのは、ヘルメットに流木の鍬形をたずさえた、なんとも独創的な兜。
そして、舟屋に必要な材木を京都伊根まで調達に行っていた達也が、自ら台船の舵を取り、初航海を終えて無事帰還。
クレーン・城島との連携作業で、貴重な材木を島に運び込むことができた。

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船舶免許の取得2013/4/14

立ちはだかったのは、またも運搬の壁だった。
入り江に舟屋を建てるため、建材となる材木を島中の廃屋から集めたものの、材木を入り江まで運ぶには山を越えねばならず、舟での運搬を試みた。
だが、ロープを結んでのけん引は荒波に阻まれ断念、舟に乗せての運搬も、島にある唯一の小さな舟では、運べても1度に3本の材木がやっと…。
さらには、島で調達できる材木だけでは建材が足りず、京都伊根町から舟屋に使われていた材木を大量に頂けることになったが、それらを自分たちで島へ運ぶ手段すらなかった。
そこで、この課題を打破すべく動いたのが、いつも頼りになる男、達也だった。
20トン未満の船を操縦できる「一級小型船舶免許」の取得に挑み、そして、見事難関を突破したのだ。
これで海上での運搬効率は飛躍的にアップした。

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僕らの基地「舟屋」造り開始!2013/3/24

初上陸からずっと、島には自分たちの“基地"が必要だった。
以前、ソーラーカーの旅で出会った、京都・伊根町の舟屋を原形にした、基地を造ると決め、伊根町の舟屋を手掛ける棟梁に協力を仰ぐ。
当初の建設予定地だった港跡の平地は、潮の浸水があることが判明し、波や風の影響を受けにくい港跡の入り江、一番奥に舟屋を建てることに。
だが、その敷地には一つの巨大な岩が鎮座し、作業の進行を阻んでいた。
移動式クレーン免許を持つ城島の発案で、櫓(やぐら)を組んだ滑車装置をこさえ、無事、巨大岩を移動することに成功した。

基地となる舟屋の土台には、「野面積み」という方法で石垣を築く。
それには、角があって噛み合いやすい集落跡の石垣の石、約300個が必要。
まずは、完成したばかりの線路を使い、500mの距離をトロッコで運搬。
ようやく運び終えても、今度は石垣組みに思わぬ苦戦を強いられた。
外枠の大きな石はなかなか安定せず、中を埋める小石は6tもの量がある。
DASH村では、古民家を移築した経験もあるが、さすがに疲労困ぱい。
そして、作業開始から4ヶ月半、ついに基地の土台となる石垣が完成した。
その上に建つ、舟屋の柱や壁は、島にある廃屋などの木材を再利用したいと、島中に点在する廃屋から、使えそうな木材を一本一本選び出した。
だが、ここでも運搬の壁…舟で木材を牽引しようにも冬の波が荒くて断念。
予想もつかない課題が、次々と立ちはだかる。

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大捜索、それぞれの成果2013/2/17

島の大捜索を行う、城島、太一、松岡の3人。
倉庫跡のフンの主が野生のウサギであったことを突き止めた太一は、森で動物の追跡を進める中で、ウサギと思われる頭がい骨を発見。
小動物を餌とする大型の肉食獣がいる可能性も否定できない…。
一方、アナゴ筒でクロアナゴを狙う松岡は、大量のヌタウナギに困惑しながらも、なんとか一匹のクロアナゴをゲットした。
そして、山の中腹でエンジン付きの農業用運搬機を発見した城島は、これを活用しない手はないと、草刈り機の新しい燃料と交換し、見事にエンジンを始動させることに成功した。

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冬の島の大捜索2013/1/27

まだ、わからないことが多い無人島をもっと知るべく、大捜索を開始。
倉庫跡にあったフンから、動物の正体を追う太一は、森や浜で、何かが食べた後と思われる木の実や葉、謎の動物の毛皮など、その痕跡を順調に発見した。
さらに、そこから動物の行動範囲を割り出し、重要な出現ポイントと思われる場所を絞り込むことに成功。
ついに、倉庫跡に現れる動物の正体が、ウサギであることを突き止めた。
一方、山の調査を進める城島は、新たに発見した一本レールを辿り、農業用の運搬機と思われるエンジン付きの機械を見つける。
エンジンはかからなかったが、比較的、状態がきれいに保たれていたため、修理すれば開拓の大きな助けになるかもしれない。

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動物の影と民家の発見2013/1/20

昨年夏の初上陸以来、5か月ぶりにDASH島に足を踏み入れた太一。
初めて見る線路と、初体験のトロッコに興奮冷めやらぬ中、城島、松岡とともに、未体験だった森の中へ。
そこで感じた動物の気配… 正体を探るべく3人はその影を追った。
だが、たどり着いたのは、かつての住民が住んでいたであろう民家の跡
当時の島での暮らしの様子を垣間見ることができ、様々な生活用品を見つけたが、肝心の動物の正体は未確認のまま…。
やはり、まだまだ謎が多い無人島… そこで、山の調査、動物の追跡、大きな魚の調達と、それぞれ担当に分かれて、冬の島の大捜索を開始した。

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線路、ついに完成!2013/1/6

新年を迎え、無人島開拓の大きな要が、ようやく形になりつつあった。
作業開始当初は、完成が途方もないのことに思えたトロッコの線路敷き。2012年、晩夏の初上陸から島での男たちの作業は、ほぼこれに費やしてきた。
だが、それは徐々に、確実に伸び、作業開始から2か月、ついに小島側へ到達。
そして、3か月という月日をかけ、レール248本、枕木620本を使って、石垣のある集落跡のそばから、基地を作る港跡のすぐ裏手までの全長500mの線路が完成した!
島の地形上、多少の蛇行や勾配はあるものの、トロッコの走行テストでも、無事に走破することができた。
これで、遅々として進まない石運びだけでなく、基地作りのための多くの資材を効率よく、運ぶことができるはず。

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