DASH島開拓史

水路の橋“丸太木樋"2014/12/21

鈴なりに生った赤い実りは、“ムベ"の果実。
鳥や虫たちの分を残しつつ、味わった実は、とても甘く熟していた。
一方、城島が農業経験から、食べられるのではと採取した、同じく赤く色づいた“ノイバラの実"。
しかし、これは生薬の素で、美味しいと言える代物ではなかった…。
そして、井戸から始まった水路計画は、45m地点。
ポンプ櫓に水を引き上げ、舟屋がある小島まで徐々に傾斜をつけて、水路を伸ばして行く計画だった。
しかし、その間に広がる森は、ウサギや様々な生き物たちが目撃された場所。
そこで、岩手県・久慈で見た“水路の橋"をヒントに、一気に森を越える作戦を立てた。
もう一つ櫓を作り、ポンプ櫓との間を、彼らの森を壊さぬよう土台を打ち込まずに、長い一本の水路を渡す。
それには、強度もあり、水漏れの心配もない“丸太木樋"を採用。
久慈で頂いた10mの赤松の間伐材を、そのまま水路として削り出したが、人力での作業は想像以上に過酷だった。

傾いた線路の復旧と島の魚垣(ながき)2014/11/23

DASH島では、もはや秋の定番となった“アケビ"の実。
今年は、その皮を椿油で炒めた新たな食べ方に挑戦するが、調味料・一切なしの島の料理は、アケビの皮の苦みが際立つ、微妙な味だった…。
そして、台風11号で甚大な被害を受けた線路の復旧は、瓦礫の撤去作業に費やされる日々が続いた。
何とか瓦礫を取り除き、作業は砂利が流れて落ち込んだ線路の復旧へ。三本脚の櫓(やぐら)と滑車を使い、傾いたレールを持ち上げ、その下に砂利石を盛る。
黒部の保線マンたちのアドバイスのもと、再度、土台の砂利が流れ出さないよう土留めの板を設け、防波堤も兼ねた万全対策。
砂利は、大きな石の間に小さな石を入れ、隙間なく噛み合うように。
保線マンの技術と、TOKIOがこれまで培った知恵を集結し、以前より丈夫で強い、新たな地面を作っていく。

一方、港跡の入り江の豊かな漁場をもっと活用できないかと、沖縄・伊良部島で学んだのは、伝統漁法“魚垣(ながき)"。
浅瀬に石垣を築き、潮の満ち引きを利用して魚を追い込んで捕える。
これなら、島でも出来ると、城島が入り江の入口で魚垣作り。
港跡周辺の石を集め、先端に行くほど狭くなる独特の形に石を積んでいく。
最後に魚を捕える網は、漂着物の網と流木でこしらえた。
そして、DASH島の魚垣、初の獲物はウマヅラハギだった。

トロッコ仮設橋2014/11/9

この夏、日本列島を襲った大型台風11号。
その猛烈な風は、DASH島にも大きな被害をもたらした。
浜の日除け用テントは跡形もなく吹き飛ばされ、森の木々もなぎ倒された。
一方で、古井戸のはね釣瓶は風向きが幸いし、難を逃れた。
さらに舟屋も、その立地の良さと、頑丈さで台風を耐え抜いていた。
しかし、甚大な被害を受けたのは、開拓の要であるトロッコの線路。
大小2つの島を結ぶ洲の付け根、砂利と土が堆積した坂道が、波によってエグり取られ、レールと枕木が宙づり状態となっていた。
この緊急事態に、力を貸して頂いたのが、富山県・黒部の保線マンたち。
その山岳鉄道で培ったノウハウを注ぎ込み、復旧作業に当たった。
急を要する宙吊りレールの応急処置は、島に残っていた枕木とレールを使い、資材が限られる山岳鉄道ならではの知恵と技を結集。
レールを噛み合わせた橋げたに、枕木を組み上げた橋脚がそれを支える、トロッコ専用の仮設橋が出来上がった。

ポンプ櫓(やぐら)2014/10/19

水路の水を再び高い位置に引き上げるため、50年ものの手押しポンプを蘇らせ、今度は森の中にポンプを設置する高さ4mの櫓(やぐら)を作る。
足場丸太を番線で固定し、互いに支え合うように組んだ4本の脚。
人やポンプが載る床の部分は、足場板で作った。
一旦、この櫓の下の穴に水を溜め、ポンプで引き上げる仕組み。
櫓の下の穴に入るドラム缶は長瀬、そこからポンプまでを繋ぐ竹筒は城島が、それぞれ漂着物で用意した。
だが、竹筒とポンプの接続部分から空気が漏れ、水を上手く吸い上げられない。
そこで、舟屋の土葺き屋根で使った、粘土質の土で接続部のすき間を埋めることで、無事、水を汲み上げることに成功した。

初の燃料で舟屋に灯りを2014/9/28

井戸から舟屋まで全長450mにおよぶ水路計画も、徐々に勾配を下げた結果、たった40mの地点で、すでに膝程の高さに…。
さらに、横断するトロッコの線路がその行く手を阻んでいた。
そこで、岩手・久慈で頂いた壊れた手押しポンプを修理し、低くなった水路の水を再び高い位置まで引き上げる作戦に。
劣化していたピストンのゴムは、ポンプが水を引き上げるために、最も重要な部分。
これを島の在り合せの物で再生させ、無事、その機能を取り戻した。
しかし、そのポンプを設置するには、まだ大掛かりな装置が必要だった。

一方、夏を満喫したいと、松岡が待ちに待っていた“リゾラバ"。
漂着物の板でウェイクボードさながらに海面を滑り、拾ったスイカで興じたスイカ割りでは黄色い果肉に驚嘆した。
そんな、TOKIO5人が揃って羽を伸ばせるのも貴重な時間。

そして、今年、舟屋が完成して間もなく、日が落ちると真っ暗になってしまう舟屋に灯りが欲しいと、城島が動き出していた。
危険をかえりみず岩壁を登り、島中から集めたのは、椿の種。
その種から絞って抽出した貴重な“椿油"は、DASH島初の燃料となり、柔らかい灯りで舟屋を照らした。

また、去年の初夏、太一が小島の海沿いの崖で聴いた鳥の鳴き声。
その手がかりとなる、ヒヨドリの群れを観察用カメラが捉えた。
さらに、そのヒヨドリを狙う、断崖に棲むハヤブサの存在も明らかに。
そこで太一が考えたのが、カメラを取り付けた紙風船によるハヤブサの巣の調査。
大きな紙風船を作り、椿油を燃料とした火種で、熱気球のように風船内の空気を暖め、紐を付けて巣がある崖の中腹まで飛ばす計画。
シミュレーションでは、高さは十分保ったものの、連携が上手くいかず、コントロールに不安を残した。

“赤松”の材木で水路作り再開2014/9/7

岩手県久慈市からDASH島に到着したのは、待ちに待った赤松の材木。
軽くて水に強く、腐りにくい赤松は、木樋の材料にはもってこい。
草津温泉・湯畑の木樋を手掛けた、プロ直伝の継ぎ方も学んできた。
さっそく水路作りを再開させたが、森の木々に行く手を阻まれる。
そこで、用水路で方向を変えるのに使われる“接続枡(せつぞくます)"を応用。
流れてきた水は一旦、この枡に溜まって勢いが弱まり、溢れ出ることなく、スムーズに方向転換することが出来る。
これで水路を迂回させ、木をよけることは出来たが、気付けば、徐々に勾配を下げてきた水路は、膝の高さ程となっていた…。
さらに、森を抜けるためには、どうしても進路を横切るトロッコの線路とぶつかってしまうことが判明した。

材木調達2014/8/17

DASH島で進行中の水路作り。材料にしていた、床板が底を尽いていた。
そこで、達也は一人、材木調達のため岩手県・久慈市へ。
久慈市は、日本一の赤松の産地。
赤松は樹脂が多く、水中で腐りにくい、水路作りには最適な木材。
この土地で、赤松を原木から加工している山形林産加工センターの
所長、澤口敬志さんの元を訪れる。
澤口所長の案内で赤松の古材(ふるざい)を譲って頂けることとなった。そして古材置き場の候補地に足を運ぶ。
訪れた場所には古民家を解体した際に出た古材が置かれていた。
計3カ所の場所で古材を集めていくと、その中の1カ所、古材提供者の苅間沢さんのご好意で、島の開拓の手助けにと、蔵に眠る昔の道具、『手押しポンプ』『首木(くびき)』『前挽大鋸(まえびきおが)』『鉞(まさかり)』『自在鉤(じざいかぎ)』など合わせて9つの道具も頂いた。
そして、3か所で頂いた赤松の古材70本を山形林産加工センターにて製材して頂き、板が210枚に。
その数日後。島に向かう台船には、久慈市で頂いた製材と古道具。
この水に強い赤松の板で、DASH島の水路作りが再開する。

生き物たちとの知恵比べ2014/7/27

国分坂で見つけた新たな食料は、鈴なりに実ったビワだった。
先人の鳥たちの分も残しつつ、自分たちの食料も確保したいと、住居跡の倉庫に放置されていた漁網を使って、一部のビワの実に即席の鳥除けネットを。
さらに、漂着物を寄せ集めて作った、3体の案山子(かかし)たち。
マネキンの頭を取り付け、80年代風の衣服を身にまとって、どれも少々不気味な仕上がりとなったが、彼らが大事なビワを見守った。
そして、天然記念物のカラスバトや、昆虫のヤブキリなどが、実をついばみに現れた。
それでも、数週間後には、確保していた実も見事な熟れ色に染まり、ネットと案山子たちはそれなりの効果を上げた。

 

一方、初上陸の時に見つけていた、タコつぼ漁で使われる“タコつぼ"。
これを活かさない手はないと、試しに港跡でタコつぼを仕掛けてみるも空振り。
以前から潮が引いた港跡の岩の下や潮溜まりで、タコを発見していただけに諦めずに、代わりとなりそうな漂着物で、自作のタコつぼをこしらえ再挑戦。
竹筒、もみの木の流木、ウナギの漁で使う筌(うけ)をタコつぼ代わりとし、中にはタコの好物のイソガニやらっきょうなどのエサを仕掛けた。
場所は港跡の入り口、砂地で隠れやすい岩場があり、海藻が豊富でエサにもありつける、タコにとっては絶好のポイントのはずだが、収穫はゼロ…。
問題はどうやら波に揺られてできた、タコつぼと海底の隙間にあった。
そこで、海底にぴったりとつけて仕掛け直すと、タコツボに入るタコの姿が。
また一つ、DASH島の食料調達が一歩前進した。

パイプの水路と接続弁2014/7/13

七夕のDASH島、男たちは砂浜で平安時代の七夕行事だった相撲の一番。
15も年下の番組スタッフに投げ飛ばされながらも、城島はどこか清々しかった。
目下進行中の水路は、水漏れ問題も解決した矢先、舟屋までの最短ルートでは、線路の妨げになることが判明。
水路の迂回を余儀なくされたが、木樋に使っていた栂の材木が底をついたため、島探索で手に入れていた漂着物のプラスチックや鉄のパイプを、木樋代わりにすることを思いつく。
段差をつけたカーブの部分は、廃屋で調達したヤカンや鍋を組み合わせ、取り急ぎの接続装置を作った。
しかし、急きょ作ったシステムは上手く機能せず、パイプから水が逆流する結果となった…。

水路の水漏れ対策と新たな帆掛け船2014/6/29

井戸水を舟屋へ運ぶための450mにおよぶ水路作り。
まだ12mの木樋を組み終えただけだが、多量の水漏れが発覚し、一時中断。
木樋の接合部の継ぎ目、わずかな隙間から水が漏れていることが分かり、探索中に見つけたシュロの皮からとれる繊維で、隙間を埋める措置を施し、一先ず問題は解決した。
一方、横波を受けては転覆し、帆を取り付けても折れるなど、何かとトラブルが多かった、島の手漕ぎ舟。
太一の発案で、この舟を新たな“帆掛け船"へと改造を試みた。
新聞記事に載っていた帆掛け船の帆を参考に、倉庫跡で見つけた幌生地に切り込みを入れ、適度に風を逃がし、それでいてしっかり風を掴む構造に。
さらに、カーテンのように開閉する機能性を持たせ、軽量で取り外しが容易くなったことで、コンパクトに舟屋へ収めることもできる、優れものへと進化を遂げた。

水路作り開始2014/6/1

くり抜いた舟屋の床板で、TOKIOの料理人・松岡がこだわりのまな板作り。
男泣きした日を想い、“思い出"と刻んだまな板を使った料理の味は、格別だった。
そして、開拓には不可欠な生活水を確保するための水路作りが始まった。
余った栂の板と丸太足場の材木を使って、土台と水を流す“木樋(もくひ)"を組んでいく。
漂着物のブイを目印に、即席でこしらえた水準器で島の勾配を測りながら、水路を引く場所の傾きを見極め、水がスムーズに流れるよう工夫した。
一本一本手作業で土台を打ち込み、その上に木樋を乗せ、1日がかりで12mの水路を組み上げた。
だが、実際に水を流してみると、流れる方向は問題ないものの、木樋の継ぎ目から水が漏れてしまった。

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汲み上げ装置“はね釣瓶(つるべ)"2014/5/18

倉庫跡のシナミザクラも実を付け始めた頃、新たな計画が動き出した。
作業の合間に喉を潤したり、手を洗ったりと、何かと必要になる「水」。
この無人島には、生活用水として使える水は、森の奥の古井戸にしかないため、そのたびに水を汲んでは、舟屋までの往復を余儀なくされていた。
そこで、以前からメンバー内でも持ち上がっていた構想“水路作り"に着手。
まずは、一定量の水を水路に引くには、今の滑車式の汲み上げ方法では、効率が悪いため、広島県で学んだ“はね釣瓶(つるべ)"という装置を組むことにした。
それは、かつて水道設備が普及する前の日本で活躍した井戸水の汲み上げ装置。
テコの原理によって、女性でも簡単に汲み上げる事が出来る優れもの。
そして、余った古材を利用して、DASH島に巨大なはね釣瓶が立ち上がった。

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家具探しと水路の構想2014/4/13

春の訪れを告げる、DASH島の桜を見て、松岡が詠む一句も乙なもの。
だが、今更ながら、港跡の舟屋と山の古井戸が、とても遠い位置にあることを痛感したメンバー。
拠点となる舟屋では、炊事や風呂など、何かと水を必要とする場面が多いはず。
これまでの、天秤棒とバケツを使った人力ではない、もっと有効な水の運搬手段を考えねばならなかった。
そこで、井戸から舟屋までのおよそ450mの距離を、自分たち手作りの水路を引くことを決意した。
一方、完成したばかりの舟屋には、最低限必要な家具も道具もない。
そこで、使えそうな物を探して、まだあまり踏み入っていなかった東側の山へ。
すると、水の張った貯水槽や、八方に延びるレールなど、謎のものが次々と見つかり、この無人島には、まだまだ未踏の場所が多いことを再認識した。

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舟屋、完成2014/3/16


森の倉庫跡に姿を見せてから、様々な場所に現れるようになったウサギ。
島で度々、目撃されるヘビに追われ、棲み家を転々としているのではないかと、再びウサギの捜索を始めた。
その結果、この島には複数のウサギが暮らしていて、人に慣れている様子だということ。
太一の夢見る動物との共存。その第一号として、彼らが島の新しい仲間となってくれるか。
そして、一昨年から取り掛かった基地となる舟屋づくりは、完成間近となっていた。
2階の床板を張るための板材が、もう島には残っていないため、愛知県にある貯木場の港を訪ね、数年間、放置されていた巨大な丸太を頂く。
貯木場では、ベテランの筏師(いかだし)が海に浮かぶ丸太を乗りこなし、巨大丸太を牽引するロータリーボートの舵は達也が握った。
頂いた丸太は、建材に使われる栂(つが)と呼ばれる木で、床板にはもってこい。
外側こそ浸食が激しかったが、中身は材木として申し分ないものだったので、床板に製材。
島に持ち帰り、長い間、貯木場で眠っていた巨木は、舟屋の床板として生き返った。
しかし、床板張りに精を出しすぎて、階段の設置を忘れるという城島の大失態。
急きょ、1階船着き場の奥から、ハシゴで2階へ上がれる出入り口を確保。
城島の失敗を責めず、労いの言葉をかけた松岡の優しさに、城島が涙を浮かべるという一幕も。
そして、舟屋に欠かせない、入口の下屋(げや)を支える“方杖(ほうづえ)"には、拾った流木を使い、雨戸は、小屋にあった“引き違い戸"を横向きに取り付け、ガラス窓から光が差し込む、突き出し窓にした。
1年半、数えきれない出来事を乗り越え、途中でまさかの男泣きだったが、ともあれ無事に、舟屋が完成となった。

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ヌタウナギ料理2014/3/9

舟屋の1階は舟着き場、多少雨風が入っても問題ないため、壁はスダレで代用。
板材が足りないからと、苦肉の策で施した措置も、出来上がってみれば、洒落た外観となった。
一方、厄介者扱いだった島の常連、ヌルヌルの“ヌタウナギ"を何とか活用できないかと、城島がヌタウナギを食す文化があるという秋田県男鹿市へ。
男鹿でヌタウナギは“棒アナゴ"と呼ばれ、グラム単価ではマグロより高値がつく高級食材。
ヌルヌルのため、包丁を使わず、手で搾り出すように肝を取り出すと、あれだけうねっていたものが、その名の通り、棒のように真っ直ぐとなる。
そして、天日干しで臭みも消えたら、炭火焼きや出汁の染み出た味噌汁で美味しく頂ける。
学んだ通り、意気揚々と島で調理に精を出す城島だったが、どうやら達也、これだけは苦手だったようだ。

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舟屋の2階住居、壁が完成2014/3/2

浜の一角、枯れたヨモギに、虫の寄生よって綿の球となった「虫こぶ」を発見。
これを、お灸の“モグサ”にして、中国伝統のクルミ灸を施し、リフレッシュ。
そして、舟屋の壁板張りは、漂着物の板材で、住居となる2階部分から開始。
張り方は、達也の提案で、古来から木造建築に用いられる「鎧張(よろいば)り」。
まさに甲冑のように板材を重ねて張ることで、雨風に強い壁となる。
板を切る作業では、松岡の横着振り、太一の要領の良さが目立ったものの、TOKIO、スタッフが一丸となり、数日かけて、2階の壁を完成させた。
そんなメンバーを労って、滋養強壮に良いというサネカズラの実を煮詰めた、特製ドリンクを作った城島だったが、その強烈な苦さはことのほか不評であった…。

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リベンジのイカ釣り2014/2/2

節分を前に、島の災いを払うため、伝統的な魔除けの飾り「柊鰯(ひいらぎいわし)」作り。
材料は、島で獲れるカタクチイワシと、柊の代わりに棘の多いノイバラを使用。
一方、舟屋の壁板となる板材探しは、強い波風が浜に多くの漂着物をもたらし、その中から順調に調達した板材を、トロッコで舟屋へ運ぶ作業が続いていた。
そして、一年越しのリベンジとなったのが、島でのイカ釣り。
一年前の冬にDASH海岸の流木を削りこしらえた、イカの好物のエビに似せた仕掛け“餌木(えぎ)"では、思ったような釣果が得られなかった。
そこで、新たに作った仕掛けは、臭いでも誘い出せるよう、小魚を巻き付けた昔ながらの“テイラ"。
そして、ついに達也が一杯の“コウイカ"を釣り上げた。

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掘り出された自然薯2014/1/26

去年の夏、山の中で見つけた、天然のヤマイモ“自然薯(じねんじょ)"。
秋になるのを待って、大きく育ったはずの土中の高級食材を掘り出す。
まず、葉の付け根に生った、自然薯の食べ頃を示す種イモ“ムカゴ"を堪能し、
見失わないようにと夏、ツルに付けた目印を元に、その下を慎重に掘っていく。
そして、1時間かけて出てきたのは、30cm、500gの立派な自然薯。
その味は、強力な粘りもさることながら、味わったことがないほど濃厚だった。
一方、舟屋作りは屋根が完成し、壁の板を張る作業へ。
適当な壁板を調達するため浜を捜索していると、船の八頭(やつがしら)や舵といった漂着物を発見。
さらに、前歯が異常に発達した、謎の動物の骨を見つけた…。

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舟屋の屋根、完成2014/1/12

秋も深まる無人島で、見つけた秋の味覚は、強烈に渋い柿だった。
一方、雪が降る前に仕上げたいのが、舟屋の屋根の瓦葺き。
その作業は屋根の一番上、棟瓦を残すのみとなっていた。
“のし瓦"という瓦を積んだ上に、カマボコ状の“冠瓦(かんむりがわら)"を葺いていく。
これが終われば、その重みで瓦が飛ばないばかりか、建物自体も安定する。
島にない冠瓦は、形がよく似た“素丸瓦(すまるがわら)"で代用するも、少し数が足りず。
試しに浜の漂流物の竹を使うと、これがぴったり、冠瓦の役割を果たした。
そして、メンバー全員の鬼瓦を据えれば、雨にも負けず、風にも負けない、136日をかけて葺いた瓦の屋根が、ようやく完成した。

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