中山道の宿場町として栄えた中津川は、旅人や行商の道中の疲れを癒すご馳走として栗料理が振舞われていた歴史があり、現在においても「栗の町」として、栗菓子店が 立ち並んでいる。
中津川は元々、気候や土壌的にも栗の栽培に適しており、明治時代以降、栗の栽培がさかんに行われるようになった。
栗菓子店にとって、栗菓子を生産する上で重要といわれる、大きくて甘い栗を栽培するために木を低くして実を大きくする「低樹高栽培」が普及した。
そのため、長多喜の庭園にある天然の山栗(柴栗)は「栗の町」中津川でも貴重なものとされる。