歩いていると、いかにも歴史のありそうなお店を発見。
ご主人に話を聞いてみると、ここは梅干し屋さん。
駅伝でタスキが渡されるのも、すぐ目の前だという。
太一「まさにここなんだ」
そして、そのはるか道の先には、箱根山が。
達也「あれはキツイでしょ」
箱根駅伝の始まりは大正9年。東京、大手町から、箱根、芦ノ湖まで往復217、9キロを10人をタスキでつなぐ学生最大の駅伝大会。通称「山上り」と呼ばれる第5区は、高低差850メートルに及ぶ、厳しい箱根路。

聞いた梅干し屋さんは、そんな箱根の山へ向かうランナーを送り出す、小田原中継所のそばで、毎年、ひそかに箱根駅伝の中継映像にも映ったりしている、東海道の老舗だった。
太一「小田原って梅干しが有名なんですか?」
戦国時代、小田原城主の北条早雲が兵糧用に城下で植えていたのが始まりとされる小田原の梅干し。
明治元年の梅干しも置いてある、歴史の深いお店で、30年物の貴重な梅干しを、半分ずつ分けて頂くことに。
梅干しは、塩の浸透圧で水分が抜け、梅の旨味が凝縮されている状態。二人と同年代の名物のお味は…。
「まさに梅干しって感じ」
と、思わず顔をしかめるほど味が濃縮されていた。

貴重なお味を頂き、お店を後にした二人は、改めて国道一号線をさらに東へと進む。
小田原城の近くを走り続けるも、海は望めず。海を目指し、海側の細い路地に入ると、そこにはかつての歴史の面影を残す、市場横町の文字。
太一「昔、ここ市場だったってこと?」
歴史を感じつつ、さらに進むと、小田原名物のかまぼこ屋が立ち並んでいた。