だん吉を降りて、海岸へ向かう2人。
2人「こんにちは」
そこにいたのは、アウトリガーカヌーを楽しむ方々。
八丈島でも見られたアウトリガーカヌーは、ハワイからの移住者がこの小笠原諸島に伝えたとされている。
浜辺に集落が開けた島では、交通手段としてカヌーが重宝された。
そして、ここ扇浦海岸は、ポリネシア語で癒しを意味する「アキビーチ」と呼ばれ、憩いの場とともにカヌーの勝負の場となり、毎年夏、大会が開催されている。

2人も早速、海パンに履き替え、それぞれ別のカヌーに同乗させて頂き、2艘でエメラルドグリーンの海上散歩へ。
透きとおった海と風を感じ、すっかり気分はリゾート感覚。
そして、要岩と呼ばれる場所に到着。
すつと、岩に窓のようなものが…。
それはトーチカと呼ばれるもので、戦争中に日本軍が機関銃や大砲を装備した防御陣地。
戦時中、地上戦が行われた硫黄島を控えた父島はかつて、通信基地として重要な拠点とされ、現在でも200以上のトーチカが残されている。

そして境浦海岸からすぐ近くには、沈没船が…。
その船は、濱江(ひんこう)丸という座礁船。
元々、陸軍の物資を輸送する船だったが、昭和19年にサイパン沖で攻撃を受け、父島に漂着した。
50年前までは全長120mもの原型が留まっていたが、台風などで崩れてしまった。
現在では父島の名所の一つになっている。