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生き物が増え、楽しみが増える一方で、自然の脅威にさらされる事も…。
猛暑続きの2007年、記録的な猛暑日が続き、村始まって以来の深刻な水不足が起きていた。
カエルで賑わっていた調整池や溜め池にも見られず、出穂間近で水を必要とする田んぼは、水かさが減る一方。
暑さによる蒸発と乾燥は進み、雨は望めず、手を打たなければならないギリギリの状況。
田んぼ脇の調整池から水を送り込めない状態となっていた。
すなわち、田んぼの方が位置的に高くなってしまい、水が入って行かなかった。 |
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そこで直径1、8mの水車を水位の下がった調整池に設置する。
江戸時代に発明されたという足踏み水車は日本人の知恵。
羽根板を踏み回す事で高い場所へも水を供給できる。
羽根板一カ所分で8L。送られた水の向こうではアイガモ達も泳ぎ出す。
間もなく迎える出穂にはしっかりと間に合った。
そんな水不足の影響は村の水源でもある溜め池にも及び、生き物の姿がほとんど見当たらない。田畑に送り出すにしても水量は不安定だった。
水の質と量を高めるため、里山の沢から溜め池へ水をひき直す水路づくり。深さも幅も充分に掘って、土留めとなる石を並べ、後は水の流れが自然に形を整えてくれるのを待つ。 |
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一週間後には、沢のキレイな水が流れ込むようになり、更に水を浄化する助っ人として、鯉の仲間の“アブラハヤ"を近隣の沢から引っ越しさせた。
水中に増えすぎた藻や動物プランクトンを餌とする。
棲みついて、繁殖もするようにと13匹を放流すると、濁っていた水が透き通っていった。
生き物達の隠れ場所にもなる橋をかけ、流れ込む水と出ていく水。
絶えず新しい水が沢を通じて流れ込む事で、透明度と冷たさが確保される。アブラハヤは年々その数が増し、今ではその孫の孫の世代まで村には息づいている。 |
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