そして、五稜郭も徐々に近づいてきた、駒場町。
見えてきたのは、128年の歴史を誇る『函館競馬場』。
丁度、今の時期は、全国から700頭ものサラブレッドが集まり、週末ごとにレース開催中だった。
太一「地名で馬のつく名前が多いね」
地名である“駒場"、そして “馬場"も、かつて徳川幕府が所有する馬の調教場があった名残。

ちなみに、東京にある“高田馬場"の由来は、家康の側室だった高田君(たかだのきみ)に与えられた土地に、流鏑馬など、馬の稽古をする場所があったため。
道子が通る塀の向こうは、戦う馬たちが暮らす厩舎(きゅうしゃ)。
鼻を広げる道子は、鋭い嗅覚で仲間の匂いを嗅ぎ取ったか。

さらに道子が耳を激しく揺らして警戒したのは、目の前を通った電車。
そこにあったのは、“函館馬車鉄道記念碑"。
明治30年開業の『函館馬車鉄道』は、レールの上の車両を2頭の馬が引き、“馬鉄"と呼ばれた市民の足。
今の函館市電の前身であり、電車となってもうすぐ100年を迎える。
そのターミナルは、駒場町の車庫。
長い歴史の名残を、道子と共に訪ねてみる。