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尾谷(おだに)さんは伊根の舟屋の大半を手がけた、この道52年の棟梁。
その知識と技術を学びたいという達也を、一軒の舟屋へと連れ出した。
表の玄関側は一見普通の民家だが、そこも棟梁が手がけた舟屋のひとつ。
早速、棟梁の案内で中から奥へ進むと、船着き場へ続いていた。
そこは水際で満潮時には海水も入り、舟も出し入れしやすい。
達也「舟が入れる場所を作って、その上に基礎を築いてる」
尾谷さん「下(基礎)は石垣で積んである」
舟屋でさえ、今では土台となる基礎はコンクリートで頑丈に築くというが、島では、集落跡に残る石垣を生き返らせて使いたい。 |
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ここで、TOKIOの棟梁・達也が気付いた。
達也「柱の間隔が狭いような…」
舟屋は、船が出入りするため、入口には柱が建てることができない。
そこで、強度を補うために両側に半間(まなか)という柱を多く入れる。
こうした柱も、できることなら島に残る材木を使いたい。
さらに、2階はリビングや和室などの住居スペースとなっていた。
そして、無人島に建てるならと、尾谷さんが案内してくれたのは、145年前に建てられた伊根に残る最も古い舟屋。
その特徴的な壁は、無人島でも参考になるだろうとのこと。 |
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尾谷さん「(この舟屋は)舟屋の原形やな」
その壁板には、舟そのものが材料に使われていた。
釘が出ないようにする埋木“釘彫り"の跡も残る。
去年の秋、達也が島の舟を修理した時、沖縄伝統の楔(くさび)・フンドゥーで水漏れを直したが、ここにも、漁師たちが舟を愛した証があった。
材を捨てることなく、活かしている。
形や寸法がバラバラの、古い材料を持ち寄っても、十分に雨風をしのげる舟屋になるということ。 |
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