第5章 ファッションの女王としてのマリー・アントワネット

1770年、輿入れのためフランスに到着したマリー・アントワネットは、パリの華やかなファッションを目の当たりにし、瞬く間にその虜となった。しかし、当時の人々は王妃の「着道楽」を容赦なく非難した。こうした評判はウィーンにまで届き、母后マリア・テレジアは娘を厳しく叱責するが、その甲斐なく、王妃のファッションはますます凝った、派手なものとなる。その一方で、極端にシンプルなデザインの場合もあった。飾り気のなさを装った、白いモスリン地のドレスはその一例である。1783年、ヴィジェ・ル・ブランは王妃を私的で飾り気のないファッションで描いたが、これが公的肖像であったこともあり、サロンに出品された時は不評であった。マリー・アントワネットは通常、儀礼的に必要な場合にしか正装をしなかった。品格と威厳を求められる王妃としての立場と、軽薄との世評をまねいた個人的な趣味との間で、王妃の心は常に揺れ動いていたのである。

エリザベト=ルイーズ・ヴィジェ・ル・ブランと工房 《フランス王妃マリー・アントワネット》 1785年 油彩、カンヴァス 276×193cm ヴェルサイユ宮殿美術館 ©Château de Versailles (Dist. RMN-GP)/©Christophe Fouin
王立セーヴル磁器製作所 《フランス王妃マリー・アントワネット》 1774-1775年頃 素焼きの軟質磁器 68×45×25cm ヴェルサイユ宮殿美術館 ©Château de Versailles (Dist. RMN-GP)/©Jean-Marc Manaï
ルイ・オーギュスト・ブラン, 通称ブラン・ド・ヴェルソワ 《狩猟をするマリー・アントワネット》 1783年頃 油彩、カンヴァス 99.5×80cm ヴェルサイユ宮殿美術館 ©RMN-GP (Château de Versailles)/©Gérard Blot
マルシャル・ドニ クロード=ルイ・デレの原画に基づく 《大盛装姿のオーストリア皇女、フランス王妃マリー・アントワネット》 1785年以降 エッチング、水彩によるハイライト 40.2×26.3cm ヴェルサイユ宮殿美術館 ©Château de Versailles

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