レンブラント 光の探求/闇の誘惑 —版画と絵画 天才が極めた明暗表現—

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2011/2/10

レンブラントの生まれた町・レイデン

【レンブラントハイスって、こんな所】編 は コチラ

Leiden

レンブラント・ファン・レインは1606年、オランダの中西部の町・レイデンで生まれました。レイデンはアムステルダム中央駅から鉄道で約40分。運河と学生が多い、穏やかで美しい町です。オランダで最も古い大学であるレイデン大学があり、江戸時代にオランダ政府が派遣した商館医・シーボルトが帰国して、この大学で教鞭をとりました。今でもレイデン大学は、ヨーロッパの日本研究の拠点になっています。 そのシーボルトから さかのぼること2世紀以上前に、レンブラントは製粉業を営む裕福な家庭の8番目の子供として生まれました。生家跡地には、彼の名を刻んだプレートが掲げられています。 「レンブラント・ファン・レインは1606年7月15日に ここで生まれた」 と書かれています。

レンブラント生家

お気づきの方も多いと思いますが、「レンブラント」はファーストネームです。ピカソやゴッホ、モネ、ルノワール、フェルメールなど多くの画家はファミリーネーム=苗字で呼ばれていますがレンブラントは作品の署名にも Rembrandt と記したようにファーストネームで広く知られることを望みました。これは彼が憧れたルネサンスの巨匠たち・ラファエロやミケランジェロ、ティツィアーノにあやかってファーストネームだけで署名することで彼らに近づきたかったのではないか...といわれています。面白いですね。

小さなレンブラント像

生家跡地の前にある小さな公園は Rembrandtplein(レンブラント公園)と命名されていてイーゼルには自画像、そしてそれを見つめる少年の像がありました。また公園横の川の対岸には古い木製風車を再建した"プット風車"があります。

プット風車

レンブラントは、7歳でラテン語学校に入学し、ラテン語とオランダ語の読み書きを習いました。写真のギザギザ三角の屋根の、オレンジ色の煉瓦の建物が、その学校跡地。

ラテン語学校跡地

その後、14歳でレイデン大学に入学したものの、数ヶ月で辞めてしまい、地元の画家に初めての弟子入りをします。この後、アムステルダムで別の画家の工房で修行をした後、またレイデンに戻って、自身の工房を持ち、出展作品の 《音楽を奏でる人々》 や 《アトリエの画家》 を描きました。 ところで、このLeidenの日本語表記ですが「ライデン」とも「レイデン」とも書かれています。本当の発音からすると「ラ」と「レ」の中間なのだそうですが日本語では「ラ」か「レ」としか表記できないのでどちらもアリなようです。本展では、監修者の国立西洋美術館シニア・キュレーターの幸福輝氏の表記にならって、「レイデン」としております。

 つづく
【レンブラントを一躍有名にした「解剖学講義」って?】編は コチラ

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