ワシントンナショナルギャラリー展

新国立美術館

展示会紹介

ごあいさつ

vol.8


今まで長々とワシントン紀行を書いてきたので、すっかり忘れられていそうだが、このコラムは、6月8日(水)から始まる「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」を楽しんでもらうための読み物である。当然クライマックスは「魅惑のワシントン・ナショナル・ギャラリー訪問記」! となるはず(?)なので、今回はこの「ワシントン・ナショナル・ギャラリー」とともに「モール」に建ち並ぶ「スミソニアン」のミュージアムについてお話しよう。

以前にも少し書いたが、ワシントン最大の観光地モールには、「国立航空宇宙博物館」や「国立自然史博物館」など、「スミソニアン・インスティテューション(スミソニアン協会)」が運営する10館もの博物館や美術館が存在し、アメリカの文化や歴史、その偉業を効率よく学べるようになっている。そのためモールには、海外からの観光客はもちろん、先生に引率されて課外授業にやってきた子どもたちや、アメリカ人のお上りさんがいっぱいだ。

本によっては「スミソニアン博物館」などと記述したりしているので、てっきりそういう名前の博物館があるのかと思いきや、「スミソニアン」とは、あくまで「スミソニアン・インスティテューション」の傘下にある、科学、産業、技術、芸術、自然史に関する博物館、美術館、動物園、研究所の複合体のことを言い、その施設はモールの他、ニューヨークやバージニア州にも存在する(ただし、我らが「ワシントン・ナショナル・ギャラリー」は、スミソニアンのひとつとして建てられたものの、運営は独自に行っているので、スミソニアンの施設ではないというからややこしい……)

スミソニアンの年間予算は、実に600億円以上! その7割を国が負担しているし、やたらと「国立(=ナショナル)ナントカ」という館が多いので、スミソニアンは権威ある国立博物館の集まりなのかと思っていたら、この場合の「ナショナル」とは、野球の「ナショナル・リーグ」と同様、軽く「国民の」といったニュアンスで、ガッツリと国家の支配下にあるような機関という意味ではないようだ。(by高橋雄造著『博物館の歴史』法政大学出版局)。

とはいえ、前述したように、運営は「国民の委託を受けた」国と、個人や団体の寄付、ショップやカフェの売上で賄われているので、入場料は基本タダ。チケットを買ったり、半券を持ち歩く必要がなく、入口で簡単な手荷物検査を受ければいいだけなので、これはもう「ラクチンだ~!」。アメリカが「みんなのために」時々発揮する、こういうワケのわからない度量の大きさは素晴らしい。

実は「スミソニアン・インスティテューション」の成り立ちも風変わりである。この協会は、イギリス人の科学者ジェームズ・スミソンがアメリカに遺贈した、10万ポンド(50万ドル)を超える基金をもとに、1846年に設立された。

「なんだ、スミソニアンのもとになった人って、アメリカ人じゃないんだ」

というのがミソである。実は、この人、イギリス王家ともつながる由緒ある貴族の血筋を受け継ぎながら、非嫡出子としてフランスのパリに誕生した。その高貴なる血統を誇っていた彼はイギリス社会に受け入れられるために、努力して優秀な科学者になったのだが、どうやらイギリス社会は、そんな彼を冷遇し続けたようである(少なくとも彼は、疎外されていると感じていた)。

そこで生涯独身で子どものなかったスミソンは、「“人々の知識の増大と普及をはかるため”、スミソニアンという自分の名前の入った研究所を作ってね」と、一度も訪れたことのないアメリカに、50万ドル以上もの大金をポンと寄付してしまったというのである。

なんだか「江戸の敵を長崎で討つ」みたいな話だが、スミソンとしては、建国して間もないアメリカなら、イギリスやフランスに寄付するより、自分の名前を大事にしてくれるだろうと踏んだらしい。

かくして「スミソニアン・インスティテューション」は設立され、その施設は、国も人種も関係なく、ここを訪れた人誰もが恩恵にあずかることができる、アメリカきってのミュージアム群&研究所へと成長した。「後世に名を残す」というスミソンの希望は、しっかりかなえられたわけである。


アート・ライター。現在「婦人公論」「マリソル」「Men’s JOKER」などでアート情報を執筆。
アートムック、展覧会音声ガイドの執筆も多数。