現地レポート

4月30日 パチューカが再び日本へ!

2008.09.22

4月30日。世界6大陸、30万以上存在する世界のサッカークラブのトップを切って、北中米カリブ代表が決定しました。昨年の覇者パチューカ(メキシコ)が、2005年の王者デポルティボ・サプリサ(コスタリカ)を下し、北中米カリブチャンピオンズカップ2連覇を達成。
12月、2年連続で日本にやってきます。

ここでは、メキシコでのロケの様子をお伝えし、パチューカというクラブやメキシコという国を身近に感じて頂ければと思います。

【4月27日(日)】

深夜、メキシコの首都メキシコシティのベニート・ファレス空港に到着。「青ランプなら素通り、赤ランプなら荷物全てを開けられて強制捜査」というラテン気質全開の税関のボタンを右手でON!!青ランプですんなり通過し、一服しようとするも、ここは海抜2200m。ガスライターの火が点かずがっくり。空気の薄さを実感…。

【4月28日(月)】

まず目指したのは、メキシコサッカー発祥の地と言われる炭鉱の町「リアル・デル・モンテ」。パチューカ市街から車で40分、海抜2700mにある町は、まさに雲の中!

19世紀後半に参入した鉱山開発会社のイギリス人が、メキシコ人にサッカーを教えたというのが、この国のサッカーの始まりと言われています。故に通称「メキシコサッカーのゆりかご」と呼ばれるこの町では、イギリスとメキシコのサッカー友好の証として、高さ5mの巨大銅像を製作中です。

もし12月、日本でメキシコとイングランドの「親子対決」が実現したら、この街にとっても意義深い試合になるだろうなあ、と実感。そのためには、2日後の決勝戦でまずパチューカが勝たないことには! このロケが無駄にならないことを祈りつつ、「ゆりかご」を後に。

【4月29日(火)】

決勝戦の前日練習は、両チームとも非公開。しかし練習後に、パチューカのGKカレロにインタビューすることが出来ました。カレロはいきなり「オゥ、タカハーラ!!スシ、スシ」と意味不明なはしゃぎっぷり。それでも「今年も必ず日本に行く」と話す頃には意気投合し、肩を抱かれて写真を撮るまでになりました。横幅、オレの方がでかい…(涙)

【4月30日(水)】

朝食にサボテンを食べて気合を入れた決勝第2戦当日。

会場はパチューカのホーム「イダルゴ・スタジアム」。着いてまず驚いたのが、サポーターの観戦マナーの良さでした。入場は一列になって待ち、開門すれば順番に中へ。試合開始時間が近づいても発煙筒の煙は見えず、爆発音の類もきこえない。世界15カ国でサッカーを取材しましたが、この国、このクラブのサポーターのマナーの良さは特筆に値すると思います。

メキシコは未だ激しい貧富の差が解消されておらず、1枚800円のチケットをやっとの思いで買う人も決して少なくはありません。それでも「メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか」(明川哲也著/文芸春秋)という本もあるように、現状を享受し、とびっきりの笑顔と情熱でパチューカを応援するサポーターの姿に、自殺率が極めて低いと言われるこの国の一端を垣間見たような気がします。

コスタリカでの決勝第1戦は1−1の引き分けだったため、この試合の勝者が日本行きの切符を手にします。スタンドに日の丸の旗も揺れる中での試合は、運動量で圧倒的に勝ったパチューカが、前半3分に先制。後半8分にも追加点を奪い、2戦合計3−2で勝利。47年の歴史を誇る北中米カリブチャンピオンズカップ、史上2度目の連覇を達成し、12月に日本にやってきます。

昨年は、緒戦の準決勝でアフリカ王者のエトワール・サヘル(チュニジア)に0−1の惜敗。キャプテンでもあるGKカレロは、左肩血栓除去手術から復帰直後の出場となり、万全なコンディションで戦うことが出来ませんでした。

それだけに今年は、真の実力を見せたい、と会長以下選手、クラブ関係者の意気込みも相当なもの。その熱の入りようを肌で感じ、今年はひそかに、欧州、南米以外の大陸から史上初めて決勝に進出するクラブが現れるのでは、と期待しています。

(ディレクター 永井孝昌)