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©Photo RMN - Arnaudet

 粗い筆で描かれた燃えるような赤い壁を背景に、清楚な身なりの婦人が、脅えるような、しかし刺すような視線をこちらに投げ掛けています。モデルは、かつては画家カルル・ヴェルネの妹で、建築家シャルグランの妻であると考えられていました。彼女は1794年にギロチンにかけられるという不幸な最後を遂げましたが、これに関して、モデルの兄の懇願にもかかわらず、ダヴィッドは薄情にも助命の努力を全くしなかった、という伝説が真しやかに伝えられていました。しかし20世紀半ばに、画家の死後の売り立て目録の記載をもとに、モデルは別の女性であるという説が新たに提出され、その後の議論を経て、その説が有力となりました。それによると、描かれているのはシャルル=ルイ・トリュデーヌ・ド・モンティニーの妻ルイーズ、すなわちダヴィッドに《ソクラテスの死》を注文した巷間の哲人トリュデーヌ・ド・ラ・サブリエールの義理の姉であるといいます。彼女の夫とその義兄もまた、恐怖政治の間にシャルグラン夫人同様ギロチンにかけられました。画家と彼らの詳しい関係について明確な事実は伝わっておりませんが、結局の所、画家はやはり何もしなかったようです。トリュデーヌ夫人については、ほとんど何も知られておりませんが、ただ彼女が、騒乱の時代に翻弄されながら生き抜いたであろうことが想像されます。画家は、彼女がこれから必然的に体験する悲劇を漠然と予知し、われわれにそっとそれを示そうとしているのかもしれません。
【解説】 横浜美術館 学芸員 新畑泰秀